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「私」と「他者」と「物理世界」 (16)

wells test_anime

Herbert George Wells


時間逆行通信は、実存主義的様相解釈が予想する最も目覚しい効果である。


ミチオ・カクは、その著『サイエンス・インポッシブル』の中で、予知能力(:時間逆行通信技術)を永久機関と共に「不可能レベル掘福Т知の物理法則に反するため不可能だと考えられるテクノロジー)」に分類した。そして最後に彼はこう言い添えた。「予知能力が再現可能な実験で証明されたら、現代物理学に根本的な大革命が起きることになるだろう。」
このような常識的な見解の背後には、多分次の二つの信条がある。


時間逆行通信は因果律に反するのであり得ない
時間逆行通信は物理学に実存を持ち込むというタブーを犯すので排除すべきである


上記,蓮⇒曚妨譴蕕譴訖条であるが、上記△榔△鳳された、つまり、物理主義者たちがあまり語りたがらない信条に属する。


常識とは裏腹に、一般に予知は因果律に反しない。逆にいえば、予知は因果律に反しないという条件を満たした上で成立する。例えば、円周率の小数点以下1無量大数桁目の値を計算することが確定している場合、その値を計算する前に予知しても因果律に反することは何も起こらない。なぜなら、その計算の実行はその結果の予知よりも前に確定していたのだし、円周率の値はこの世界のはじまりから確定していたからである。とはいえ、もしそのような予知が可能なら、一般の計算問題の計算結果も計算前に予知できることになるので、計算機科学に一大革命がもたらされるに違いない。


時間逆行通信装置の存在を仮定した上で、計算結果の予知と因果律との関係についてさらに詳しく見てみよう。下記の図26に示したように、受信事象が「計算結果の送信の究極的な原因事象を頂点とする記録光円錐」に含まれているなら、すなわち、計算結果の送信が確率1で行われるなら、時間逆行通信装置による計算結果の受信(予知)は因果律に反しない。

fig26

では、下記の図27に示したように未来から計算結果を受信したらその直後に量子サイコロQDを振って、その出た目に従って計算開始か計算取り止めかを半々の確率で選択する場合はどうであろう。ただし、簡単のために計算結果は0か1かの1ビットの情報量を持つとする。この場合、計算が実行された可能世界PW2から正解が届く確率は50%である。また、受信機の量子ゆらぎの中心を信号0と信号1の中間に設定すれば、計算が実行されないで、かつ、受信機で偶然正解を記録する確率は25%になる。したがって、この場合、計算の実行・非実行にかかわらず、75%の確率で正解を得ることができる。

fig27

さらに驚くべきことに、50%の確率でしか計算を実行しない場合でも、100%近い確率で正解を受信する方法がある。それは、量子サイコロQDによって計算取り止めが選択された直後に、取得済みの解情報を受信時点へとタイムループ返信するという方法である(図28)。

fig28

この場合、75%以上の確率で正解を得られるはずである。そこで、まず正解を受信する確率が75%という状況について考えてみる。そうすると、計算を中止した可能世界PW1から37.5%の確率で正解の信号が届くので、計算を実行した可能世界PW2から正解の信号が届く確率50%と合計すると受信時点では87.5%の確率で正解を得ることになり当初想定した確率75%と矛盾してしまう。したがって、正解を受信する確率が75%という状況は安定した状況とはいえない。このようにタイムループ返信を想定すると正解を得る確率が75%→87.5%→93.75%・・・・というように増大し、結局、正解を受信する確率は100%近くで安定する。計算を中止する可能性が50%もあるのに100%近い確率で正解を予知できるというのは驚くべき事態である。しかし、その予知は因果律に反しない。なぜなら、その計算問題の正解は受信前から数学的に確定していたからである。


このタイムループ返信による確率制御には上記の例以外にも幅広い応用がある。もう一つの例として、「時限爆弾のタイマーを停止させられるか、それとも、それを爆発させてしまうかが、赤,青どちらのコードを切断するかにかかっており、しかもまずいことに、時限爆弾が爆発したら時間逆行通信装置も粉々になって使えなくなってしまう」という状況について考察する。なお、受信機が送信機からの信号を受信しない場合、量子ゆらぎによって赤の信号0と青の信号1とが半々の確率で現れるものとする。また、正解の色のコードを切断し爆弾が爆発しなかった場合は必ず過去の受信時点に向けて正解の色情報をタイムループ返信するものとする(図29)。

fig29

まず、受信機が送信機からの信号を全く受信しないで量子ゆらぎによって赤の信号0と青の信号1とが50%ずつの確率で現れる状況を考えてみる。そうすると、正しい色のコードを切断した可能世界PW2から50%の確率で正解がタイムループ返信されるので、受信機の量子ゆらぎによって偶然に正解を得る確率25%と合計すると受信時点では75%の確率で正解を得ることになり当初想定した確率50%と矛盾してしまう。したがって、正解を受信する確率が50%という状況は安定した状況とはいえない。このようにタイムループ返信を想定すると正解を得る確率が50%→75%→87.5%→93.75%・・・・というように増大し、結局、正解を受信する確率は100%近くで安定する。時限爆弾の構造について無知なのに100%近い確率で正解の色を選択できるというのは驚くべき事態である。しかし、その選択は因果律に反しない。なぜなら、その正解の色は受信前から歴史的事実として確定していたからである。

(つづく)


お願い

以上の記事は、哲学系掲示板「論客コミュニティー」に投稿したものです。投稿先への礼儀と応答の重複を避ける観点から、この記事へのコメントは、「論客コミュニティー/哲学/「私」と「他者」と「物理世界」」の方にお寄せ願います。


「私」と「他者」と「物理世界」 (17)

Boltzmann test_anime

Ludwig Eduard Boltzmann


ガリレオ,デカルト、ニュートンらによって打ち立てられた近代物理学は、心の世界と物の世界を切り離し、物の世界はその世界の言葉である数学によって心の世界とは独立に記述できるという思想を掲げて大成功を収めた。しかし、その成功と引き換えに、物理学は時制や人称や様相といった実存に依存した概念を全て取り逃がすことになった。


(引用開始)
アインシュタインでさえ、生涯の終わりに近づいたとき、この「今」の問題が「彼を大いに苦しめている」と告白したのだった。哲学者ルドルフ・カルナップとの会話で、アインシュタインは「『今』には何か本質的なものがある」ことを認めたが、それが何であれ、それは「科学の領域の外部」にあるという信念を表明した。
(引用終了):ポール・デイヴィス『時間について』早川書房より


もし、アインシュタインがいうように「今」が「科学の領域の外部」にあるとすれば、「過去」も「未来」も「時間の矢」も、つまり時制に関わる概念はみな「科学の領域の外部」にあるということになる。なぜ彼は、人間生活にとって極めて重要な時制概念を科学から排除しようとしたのか。いやむしろ、彼は時制概念が人間(実存)に依存した概念だからこそ、それを科学から排除すべきだと信じたのだ。そしてまた、彼は量子現象における確率の本源性も認めなかった。可能性や確率ような様相概念も、実存に依存した概念だからである。科学(物理学)に実存を持ち込むことを拒む彼のような態度は、近代以降の科学者に共通の態度であり、現代でも多くの人々がそのような態度こそ科学的態度だと信じている。


可逆的な力学のパラダイムの中にあって、熱力学第2法則は鬼っ子のような存在だった。ボルツマンは、我々の宇宙(の領域)がたまたま低エントロピー状態の宇宙だから、この宇宙においてエントロピー増大という不可逆性が生じているのだと考えた。現代においても宇宙の時間的非対称性から現象の不可逆性を説明しようという試みはよく見かける。しかし、これは可笑しい。東京・ロサンゼルス間の気象は非対称だが、飛行機はどちらに向かって飛ぶことも出来る。非対称だから不可逆だとはいえない。ボルツマンの宇宙論にしろ現代宇宙論にしろ、そこらから導かれるのは、時間に関する宇宙の非対称性であって、現象の不可逆性(時間の矢)ではない。「時間の矢」はあくまでそれを認識する実存に依存した概念である。したがって、量子力学を待つまでも無く、熱力学第2法則が発見された当時から物心二元論や唯物論には深刻な疑義が生じていたのである。


熱力学第2法則の発見や量子力学の誕生によって、物が心と独立に存在するという実在論の足元は大いに揺らいだ。にもかかわらず、依然物理学者の大多数は、「実存概念なしで物理世界を十全に記述できる」と信じる実在論者か、「心も究極的には物理的に記述可能である」と信じる物理主義者かであるようにみえる。彼らは「実存を科学から排除した我々の陣営こそ科学の発展を支えてきたのだ」という自負を持っている。だから、彼らの目を実存に向けさせるためには、実存を前提としなければ説明不可能な決定的な実験事実を突きつける以外に無い。


時間逆行通信は、『「時間の矢」が指し示す未来』から信号が届いたことを認識する主体の存在(:実存)を条件として成立する物理効果である。だから、時間逆行通信が実証されれば、実在論者や物理主義者も、実存が物理世界を構成する主要な要素であることを受け入れざるをえなくなるだろう。

(つづく)


お願い

以上の記事は、哲学系掲示板「論客コミュニティー」に投稿したものです。投稿先への礼儀と応答の重複を避ける観点から、この記事へのコメントは、「論客コミュニティー/哲学/「私」と「他者」と「物理世界」」の方にお寄せ願います。


「私」と「他者」と「物理世界」 (18)

circles

Wassily Kandinsky, Circles in a Circle


λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信   1/4


要旨

偏光量子もつれ光子ペアを用いたEPR通信の成否は、光子の偏光を個別に測定できるかどうかにかかっている。 高速軸を垂直方向(上下方向)に設定したλ/4板に、+45°偏光光子や-45°偏光光子を入力した場合、 右円偏光光子や左円偏光光子に変換されるので、λ/4板にトルクがかかる。一方、同じλ/4板に垂直偏光光子や水平偏光光子を入力しても、偏光状態は変化しないので、λ/4板にトルクはかからない。したがって、λ/4板トルクセンサーを使えば光子の偏光を個別に測定できる。そこで、偏光量子もつれ系において、Alice側における偏光板の角度(45°または0°)の切り替えを送信事象とし、Bob側におけるλ/4板トルクセンサーによるトルクの変化の検出を受信事象とするEPR通信が成立する。本稿では、λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信について、まず、光速以下のEPR通信が可能なことを論証し、次に、超光速EPR通信と時間逆行EPR通信の成立条件を量子力学の新しい解釈(実存主義的様相解釈)にもとづいて考察する。


1. はじめに

ニック・ハーバート著『タイムマシンの作り方』(ブルーバックス)に次の記述がある。
「EPR実験によって(中略)信号を光より速く送信するためには、光子の偏光を個別に測定する方法を発見すればいい」
そこで、ハーバートはレーザー増幅器を用いた偏光の測定方法を提案した。物議を醸した末に、彼の提案は否定されたが、その議論がきっかけとなって、量子複製不可能定理と呼ばれる量子コンピューティング分野における重要な定理が発見された。 一方、レーザー増幅器を用いる代わりに、偏光ビームスプリッタと光子検出器を用いて光子の偏光を個別に測定しようとしても、測定値が確率的に分散してしまうため、測定前の光子の偏光を正確に知ることはできない。実際、"no-communication theorem"(EPR通信のno-go定理)は、測定値が確率的に分散する測定系についての論証を根拠としている。 つまり、複製や成分分割という方法によって、光子の偏光を個別に測定することはできない。そこで、我々の探索対象は、「複製や成分分割によらずに光子の偏光を個別に測定する方法」へと絞られる。
高速軸を垂直方向(上下方向)に設定したλ/4板に、+45°偏光光子や-45°偏光光子を入力した場合、右円偏光光子や左円偏光光子に変換されるので、λ/4板にトルクがかかる(トルクの時間積分値≒±ħ)。一方、同じλ/4板に垂直偏光光子や水平偏光光子を入力した場合、偏光状態は変化しないので、λ/4板にトルクはかからない。したがって、λ/4板トルクセンサーを使えば光子の偏光を個別に測定できる。 この測定方法は、光子の決定論的な状態変化にもとづく方法なので、測定値の確率的な分散がない。したがって、λ/4板トルクセンサーを用いれば光子の偏光を個別に測定できる。


2. 光速以下のEPR通信

λ/4板トルクセンサー(以下QWTSという)は、λ/4板とトルクセンサーとからなる。図1 (a), (b) のように、 高速軸を垂直方向(上下方向)に設定したQWTSへ+45°偏光光子や-45°偏光光子を入力した場合、右円偏光光子や左円偏光光子に変換されるので、トルクがかかる(トルクの時間積分値≒±ħ)。QWTSは超高感度であり、上記のトルクに反応して装置上部のランプが点灯する。

QWTS1

しかし、図2 (a), (b) のように、高速軸に沿った垂直偏光光子や、低速軸に沿った水平偏光光子をQWTSへ入力した場合、偏光状態が変化しないのでランプは点灯しない。

QWTS2

したがって、QWTSは{+45°偏光光子と -45°偏光光子とからなる光子群}と{水平偏光光子と垂直偏光光子とからなる光子群}の識別に使える。


QWTSを利用した光速以下のEPR通信の概念を図3に示す。

QWTS3

ただし、EPRペア生成時点の状態は、次のように設定されているものとする。

fomula1

なお、図3では、Alice側の光路の屈折率をna=1、Bob側の光路の屈折率をnb=3に設定して、光子がQWTSを通過する事象がAliceの「記録事象を頂点とする未来光円錐(以下、記録光円錐という)」内に入るようにしている。下記の図4は、EPR光子ペアの世界線を赤線で示したミンコフスキー時空図である。

QWTS4

Bob側の光子がQWTSを通過する事象はAliceの記録光円錐内にあるので、Bob側の光子がQWTSに到達する前に、Bobは光速以下の古典通信チャンネルを使ってAliceによる偏光の測定値を知ることができる。したがって、帰納的推論により、Bob側の光子の偏光はQWTSに到達する前に、Aliceによる偏光の測定値に対応して確定しているといえる。そこで、わざわざ古典通信チャンネルなど使わなくても、BobはQWTSの点灯・非点灯によってAliceの偏光板の角度が45°であるか0°であるかを知ることができる。
つまり、Aliceによる偏光板の角度(45°または0°)の切り替えを送信事象とし、Bob側におけるQWTSの点灯・非点灯を受信事象とするEPR通信が成立する。


ここまでの推論は、因果律,帰納法,物理法則および量子力学の従来解釈だけを前提としており、新規な解釈を一切含まない。また、QWTSは、エリツール・ベイドマンの爆弾検査問題で用いられた超高感度な起爆装置と同様に原理的な意味で実現可能である。よって、光速以下のEPR通信(spooky communication at a distance)は、QWTSを利用することにより実現可能である。

(つづく)


お願い

以上の記事は、哲学系掲示板『論客コミュニティー』と物理系掲示板『EMANの物理学』にマルチポストしたものです。この記事にコメントをお寄せいただく場合、投稿先への礼儀と応答の重複を避ける観点から、哲学に関するコメントは『論客コミュニティー/哲学/「私」と「他者」と「物理世界」』へ、物理学に関するコメントは『EMANの物理学/研究発表会場/λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信』の方にお寄せ願います。


「私」と「他者」と「物理世界」 (19)

kenji

物理世界の中心は、私のいまここにある


λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信   2/4


3. 超光速EPR通信

上述の"no-communication theorem"とは別に、測定方法に依存しない超光速通信に関するno-go定理がEberhardとRossによって提出されている。しかし、彼らのno-go定理はコペンハーゲン解釈を前提にしているので、現段階で許容されるすべての解釈のもとで成立する定理とはいいがたい。実際、実存主義的様相解釈(下記囲み記事参照)の立場に立つと、超光速通信は実現可能なことがわかる。


***************************************************

(1)実存主義的様相解釈とは、物理世界を、「架空の絶対者の視点から見た世界」から「現実の人間(実存)の視点から見た世界」へと引き下ろすことにより、観測問題を解決する解釈である。


実存の視点を要請する根拠は、つぎの確固とした物理的事実に求められる。


(2)現実世界とは、歴史世界である。そして、その歴史世界を内包する過去光円錐の頂点に私のいまここという物理世界を見渡す視座が存在する。


また、


(3)物理世界は、現実世界と可能世界とからなる。
(4)可能世界とは、物理法則と現実世界(歴史世界)の記録とによって確率的に存在が推測される世界である。


ただし、ここで記録とは、人為的な記録のことではなく、本源的な確率事象の全てを指す。
ある記録対象に関して、Aが記録される可能性もBが記録される可能性もある記録系において、現実にAが記録されたとすれば、その記録事象を頂点とする記録光円錐面を時空的境界として、世界の様相が「AとBとを記録可能性として合わせ持つ様相」から「Aという記録(歴史的事実)が確定した様相」へと遷移したことになる。そこで、このような遷移を様相遷移と呼ぶことにする。
A,Bそれぞれについて記録される可能性がある記録系において、記録をAへと収縮させる記録事象(究極的な原因事象)を頂点とする記録光円錐面での遷移を様相遷移と呼ぶのだとすれば、A,B,C,Dそれぞれについて記録される可能性がある記録系において、記録可能性をA,Bへと収縮させる記録事象(究極的な原因事象)を頂点とする記録光円錐面での遷移もまた様相遷移と呼ぶべきであろう。


(5)様相遷移は、記録対象系に関する記録可能性が収縮していくに従って、その収縮に関する記録事象(究極的な原因事象)を頂点とする各記録光円錐面において段階的に起こる。


図5は、記録光円錐面における様相遷移を模式的に示したミンコフスキー時空図である。

QWTS5

記録対象がA,B,C,Dという記録可能性を合わせ持つ場合、その状態はA,B,C,Dに関する混合状態だと考えることができる。なぜなら、記録対象がA,B,C,Dという記録可能性を合わせ持つ状態とは、A,B,C,Dのいずれかの値が確率的に記録される状態に他ならないからである。そこで、このような記録可能性に関する混合状態を、記録基底混合状態と呼ぶことにする。この記録基底混合状態は、本源的な意味の確率的混合としての混合状態であり、かつ、純粋状態への分解の仕方が一意に決まる混合状態なので、統計的近似としての古典的混合状態でも、密度行列によって表される量子的混合状態でもない。
記録可能性A,B,C,Dからなる記録基底混合状態から、記録可能性A,Bからなる記録基底混合状態へと記録可能性が収縮し、さらに、記録可能性A,Bからなる記録基底混合状態から、記録Aに対応する純粋状態へと記録可能性が収縮するのだとすれば、量子系の一般的な状態は純粋状態ではなく記録基底混合状態だということになる。なぜなら、記録対象の状態は記録の瞬間に純粋状態に確定するとしても、その記録の直後には、その対象は次の記録可能性に関する記録基底混合状態へ様相遷移するからである。
したがって、


(6)射影仮説は一般に成立しない。


ただし、対象系を干渉計や安定な準位といった特殊な時空領域に閉じ込めて、記録可能性を排除した状況では純粋状態が保持される。
記録可能性の収縮が様相遷移という形をとって段階的に起こるのだとすれば、ボルンの規則は、測定時に限定して適用される確率規則から、記録可能性が収縮する各記録光円錐面において適用される様相遷移の確率規則へと一般化される。
つまり、


(7)様相遷移は、一般化されたボルンの規則に従う。

*****************************************************


実存主義的様相解釈が正しければ、QWTSを利用した超光速EPR通信は因果律に反しない範囲で成立する。たとえば、下記の図6のように、偏光量子もつれ光子ペアの生成が、Alice側の偏光板角度(45°あるいは0°)の設定に関する究極的な原因事象C_set(記録事象)を頂点とする記録光円錐に入っていれば、超光速EPR通信が成立する。

QWTS6

図6の状況では、光子がQWTSに到達する前に、「原理的に」ではあるが、Bobは光速以下の古典通信チャンネルを使ってAlice側の偏光板の設定角度(45°あるいは0°)を「知ることができる」。「原理的に知ることができる」という断り書きの意味は、Bobが古典通信チャンネルを通じてAlice側の偏光板角度(45°あるいは0°)の設定に関する原因系の完全なデータを取得し、さらにBobが正しい物理法則の知識と十分な計算能力を持っていれば、Alice側の偏光板角度(45°あるいは0°)の設定を確実に予測できるという意味である。したがって、EPR光子ペアの状態はその生成直後から、原理的な意味で確実に予測されるAlice側の偏光板の設定角度に対応して、{|+45>a|+45>bと |-45>a|-45> bとの記録基底混合状態}か{|H>a|H>bと |V>a|V> bとの記録基底混合状態}かのどちらかに確定している。そこで、わざわざ古典通信チャンネルなど使わなくても、BobはQWTSの点灯・非点灯によってAliceの偏光板の角度が45°であるか0°であるかを知ることができる。つまり、Aliceによる偏光板の角度(45°または0°)の切り替えを送信事象とし、Bob側におけるQWTSの点灯・非点灯を受信事象とする超光速EPR通信が成立する。


しかし一方、下記の図7のように、QWTSへの光子入力事象が、Alice側の偏光板角度の設定に関する究極的な原因事象C_setを頂点とする記録光円錐の外側にあれば、EPR通信は不可能である。

QWTS7

なぜなら、図7の場合、究極的な原因事象C_setを頂点とする記録光円錐の外側におけるEPR光子ペアの状態は、{|+45>a|+45>bと |-45>a|-45> bと|H>a|H>bと |V>a|V> bの各確率が25%の記録基底混合状態}になっているからである。つまり、その場合、QWTSの点灯・非点灯が到達光子ごとにまったくランダムになってしまいEPR通信は成立しない。


通常、究極的な原因事象は人間によって確認されることのない隠れた記録事象である。そのことは、超光速EPR通信装置が千里眼のような役割を果たすことを意味している。たとえば、受信者Bobが超光速EPR通信によって「巨大地震の発生を知る」ということは、「EPR光子ペアの生成前に巨大地震の原因事象群が地中において出揃っていたという隠れた事実を遠隔的に透視する」ということに等しい。

(つづく)


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「私」と「他者」と「物理世界」 (20)

pandora_box

予知能力は最悪の災か      Rene Magritte, Pandora's Box


λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信   3/4


4. 時間逆行EPR通信

Alice→Bob方向に光速未満の十分速い速度で運動するCarolにとって、AliceからBobへの超光速EPR通信は時間逆行EPR通信として認識される。しかし、そのような特殊な状況を設定しなくても、ずっと簡単に時間逆行通信を行うことができる。すなわち、図8に示したように、Aliceの送信事象がBobの受信事象より未来になるようにAlice側の光路を長く設定しさえすれば、信号逆行時間=(光路差/光速)秒の時間逆行EPR通信が成立する。

QWTS8

ただし、因果律の要請によって、偏光量子もつれ光子ペアの生成事象は、Alice側の偏光板角度(45°あるいは0°)の設定に関する究極的な原因事象C_set(記録事象)を頂点とする記録光円錐に入っていなければならない。 上述したように、1回の信号逆行時間は(光路差/光速)秒である。ということは、Alice側の光路を屈折率1.5の光ファイバーコイルにより延長し、光路差を2kmに設定しても、信号逆行時間は高々10μ秒にすぎない。しかし、その同じ時間逆行EPR通信装置を使ってさらに過去に向かって信号を3憶6千万回リレーすれば、中継時のタイムラグをゼロと仮定した上で、1時間前の過去に信号を送ることができる。巨大地震などの大災害の発生を1時間前に正確に予知できれば、その恩恵は計り知れない。


巨大地震の時間逆行通信(予知)に関する情報は、次のような因果的な順序をもって伝播していく。


ゝ霏臙録未竜羔謀な原因事象の生起(未来のAliceによる地震通報送信の確定)
→巨大地震の発生→Lね茲Aliceによる地震通報送信→げ甬遒Bobによる受信(地震予知)


過程、□の因果的順序は時間的順序と一致するが、時間逆行通信過程→い琉果的順序は、時間的順序と逆になる。つまり、因果的順序と時間的順序とは必ずしも一致しない。ただし、時間逆行通信過程の因果的順序を問題にしないで、究極的な原因事象に対する結果事象という因果関係だけに注目した場合は、因果的順序は時間的順序と一致する。


時間逆行通信は、私のいまここという実存の視座を基準にしてはじめて物理的意味を持ちえる。なぜなら、時間逆行通信は、遠未来から近未来への通信,未来か現在への通信,未来から過去への通信,現在から過去への通信,近過去から遠過去への通信というように原理的に不可逆な効果として定義せざるをえず、その不可逆性は私のいまここという実存の視座の存在を前提としているからである。従来の通信は、私のいまここという実存の視座と無関係な原理的に可逆な物理過程として物理的意味を持ちえたが、時間逆行通信はそうはいかないのである。アインシュタインは晩年に「『今』には何か本質的なものがあるが、それは科学の領域の外部にある」という信念を表明した。しかし、時間逆行通信が科学の領域の内部にあるとすれば、つまり、それが実証されれば、我々は、私のいまここという実存の視座を科学の領域の内部へ、それも、その中心へと導入するコペルニクス的転回を受け入れることになるだろう。

(つづく)


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「私」と「他者」と「物理世界」 (21)

chaplin

"Yes, I can see now."      Charlie Chaplin, City Lights


λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信   4/4


5. むすび

超光速通信を許容する量子力学の解釈に立脚すれば、EPR通信は無意味な空想ではなく、観測問題解明のために真面目に取り組むべき課題である。


ボルンの規則が提案されてから90年が経とうとしている今日でも、未だに観測問題は解かれていない。このことは、観測問題に対する従来のアプローチに本質的な誤りがあることを強く示唆している。実際、観測も可能性も確率もみな実存を前提とした概念なのだから、実存を棚上げにして観測問題を解決しようとする従来の物理主義的なアプローチそのものに無理があったというべきだろう。


物理学的世界像は、私の世界の一側面に現れる世界像にすぎない。確かに、その世界像は宗教的世界像やシミュレーション仮説や世界5分前仮説よりも説得力がある。しかし、それが絶対的な真実であるという論理的保証はない。そこで、物理主義者は「神はサイコロを振らない」とか「神の数式」とか言う具合に自説の真実性の保証を神に求める。しかし、神の存在を前提にしたところで、神は物理学的世界像のみを「絶対的な真理として受け入れる」ように人間を創りたもうたのではない。神が創りたもうた人間とは、可能な様々な世界像のいずれかを「自ら選択して真理として受け入れる(信じる)」ことができる自由な主体である。神が創りたもうた実在とは、人間的実存であって、物理学的世界像ではない。


すべての物事が最終的に物理的に記述できると考える物理主義的物理学はすでに行き詰っている。物理学は、私のいまここという実存の視座を中心として物理世界を記述する実存主義的物理学へと脱皮を図るべきである。とはいえ、物理主義に慣れ親しんだ人々が、物理世界の中心は私のいまここであるという見解を素直に受け入れるはずもない。実存主義的様相解釈というドラスティックな解釈が一般に承認されるためには、時間逆行通信の実現というドラスティックな成果が必要だと私は考えている。


次回の投稿では、本稿の「λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信」の思考実験を足がかりとして、より現実的な、時間逆行通信のアイデアを提案する予定である。そして、我が家計(笑)が許せば、私自身の手でその原理の検証実験をしたいと考えている。

(つづく)


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 哲 学 へ 帰 れ

Mach

Ernst Mach, Inner Perspective, 1885    



世界とは、「私」が認識する対象のすべてです。物理世界も世界ですから、「私」が認識する対象に他なりません。重要なことは、物理世界の「いまここ」に「私」が投影されているという事態です。そこで、物理世界の歴史は、「いまここの私」を基点として記述されます。たとえば、「いまここの私」から見れば、138億年前に宇宙が誕生したというようにです。つまり、「いまここの私」を基点として過去や未来や因果といった概念が構成されています。実際、過去光円錐や未来光円錐や相対論的因果律という概念は、「いまここの私」に立脚して語られます。さらに、後述するように、測定対象の量子状態の記述は測定基底選択の原因事象に対する時空的位置関係によって変化ます。


物理世界における「いまここの私」(実存)は、単なる指標ではありません。それは、物理世界を認識することによりそれを支えている究極的な存在としての「私」の物理世界への投影です。そうであるならば、物理学は実存を中心とした形式に再構成されるべきでしょう。


1個の光子を導入したマッハツェンダー干渉計において、干渉の測定を選択すれば、二つの経路に関する状態の干渉が観測されます。また、干渉計の二つの経路に光子検出器を挿入して経路の測定を選択すれば、どちらか一方の経路で光子が観測(検出)されます。ホイーラーは、光子が干渉計に入った後に、干渉測定を行うか経路測定を行うかを選択する遅延選択実験を提案しました。遅延選択実験では、干渉計に導入した直後の光子の状態が、未来の測定の選択によって重ね合わせ状態か混合状態かのいずれかに遡及的(逆因果的)に変化するように見えます。そこで、ホイーラーは、測定前の干渉計内の光子の状態の変化(物理現象)の因果的記述を放棄してしまいました。しかし、私は、測定選択の原因事象までさかのぼって考えれば、遅延選択実験における光子の状態の変化を因果律と矛盾することなく記述できることに気づきました。すなわち、経路測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐面において、光子は、二つの経路状態の重ね合わせ状態から、どちらか一方の経路状態が確率的に現れる混合状態へと遷移するという解釈が成り立つのです。(注: 純粋状態→混合状態という遷移は、光子が、経路測定選択の可能性がゼロとみなせる時空領域から、経路測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐へと入る時空面において近似的に成立します。)


因果律が正しいなら、測定選択の原因事象が生起した世界(測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側の世界)では、測定対象の状態はその測定基底に関する混合状態であると考えられます。そして、その検証実験は、未来の測定選択(注:測定選択≠測定値)に関する情報を現在において得る実験に他なりません。そこで、その検証に成功すれば、未来の測定選択を送信事象とし、その測定基底に対応して現在において現れる物理的効果を受信事象とする時間逆行通信が可能になります。当然ですが、このような時間逆行通信が可能になるのは因果律に反しない条件下(受信事象が送信の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側にあるという条件下)に限られます。そもそも、時間逆行通信とは物理現象の不可逆性を前提に語られる概念であり、さらに、物理現象の不可逆性とは過去や未来の基点である「いまここの私」(実存)を前提に語られる概念です。したがって、時間逆行通信は、「いまここの私」(実存)を物理世界における基本概念として受け入れることによりはじめて語ることができる物理的効果です。それゆえ、時間逆行通信の研究は、物理学を、実存を中心とした形式に再構成する上で極めて重要な意味を持つと考えられます。



因果的世界

human-dice

1個の光子がビームスプリッタに入射する場合、その光子が反射するかそれとも透過するかは、事前において原理的な意味で不確定です。ですから、光子がビームスプリッタに入射する前の世界は、光子が反射する可能性と透過する可能性とがともにある世界です。一方、その光子がビームスプリッタにおいて反射した場合、世界は光子が反射した世界へと遷移します。この世界の遷移の原因事象は、もちろん、ビームスプリッタでの光子の反射事象(量子力学的な確率事象)です。ところで、光子がビームスプリッタで反射した世界とは、ビームスプリッタでの光子の反射事象を原理的に知りえる世界のことです。ここで、光子の反射事象を原理的に知りえるとは、光速の通信を使えばその反射事象を知りえるという意味です。ゆえに、光子が反射した世界とは、時空領域でいえば、光子の反射事象を頂点とする未来光円錐の内側の時空領域だということになります。つまり、世界の様相は、量子力学的な確率事象を頂点とする未来光円錐面を時空的境界として遷移するということができます。


ホイーラーの遅延選択実験において、光子の経路測定がなされるのはその測定選択の原因事象が生起していたからです。そして、経路測定選択の原因事象は、究極的には量子力学的な確率事象のはずです。そうすると。その原因事象(経路測定選択の原因となった量子力学的な確率事象)を頂点とする未来光円錐の内側の時空領域は、光子の経路測定が行われることが確定している世界だということになります。この経路測定が行われることが確定した世界では、光子は必ず二つの経路のうちどちらか一方の経路で観測されます。ですから、この世界では光子は必ず二つの経路のうちどちらか一方にあるといえます。ただし、測定するまでは、光子がどちらの経路にあるのかは確率的にしかいえません。そこで、この世界(時空領域)の光子の状態は混合状態として記述できます。そして、このような因果的な記述法(解釈)を採用すれば、ホイーラーの遅延選択実験におけるパラドックスは解消されます。


現行の物理学(力学)では、因果や時制といった我々の世界認識に欠くことができない概念がすっぽりと抜け落ちています。まるで、それらの概念は心理的な概念だから物理世界とは無関係だとする物心二元論や唯物論がまかり通っているかのようです。確かに、一見すると、宇宙の歴史には人間はおろか生物すら発生していなかった時代が想定されるので、因果や時制といった「いまここの私」を基点とした時間の方向に関する概念は物理の基本概念にはふさわしくないように見えます。しかし、そもそも、宇宙の歴史は「いまここの私」を基点として語られるのですから、人間はおろか生物すら発生していなかった時代は、「いまここの私」と無関係に存在(客観的に実在)するのではなく「いまここの私」に対して相対的に存在するのだといわなければなりません。つまり、現実の歴史を背負った我々の物理世界は、「いまここの私」(実存)と相対的にしか存在しえないのであって、「いまここの私」(実存)を排除した仮想的な物理世界は、超越者(神)の視点に立った空想の世界にすぎません。


過去と未来の区別も、原因と結果の区別も、現実と可能性の区別も、「いまここの私」(実存)を基準としてはじめて定まります。ですから、実存を無視して物理状態の時間発展を語ろうとする現行の物理学には無理があります。実際、ホイーラーは、遅延選択実験を考察することにより、現行の物理学では測定間の現象(量子状態の時間発展)が因果的に記述できないことを指摘しました。しかし、現行の物理学的パラダイム(物心二元論的なパラダイムあるいは唯物論的なパラダイム)を守るために、現象の因果的な記述を放棄するというのは、本末転倒ではないでしょうか。それよりも、測定選択の原因事象まで遡って、現象の因果的な記述を復活させるべきではないでしょうか。また、因果関係を認識する主体である実存の物理学上の身分を明らかにすべきではないでしょうか。私は、近い将来、物理学が実存を中心に据えた実存主義的なパラダイムへとシフトすると確信しています。



実験哲学

marches

Rene Magritte, The marches of summer, 1939


1個の光子の偏光状態に注目します。その光子が水平偏光を透すH偏光板を透った直後の状態は、現行の物理学によるとH偏光状態だとされています。そして、その光子を次に+45°偏光を透すD偏光板に入射させれば、その瞬間に、光子は、H偏光状態からD偏光状態に遷移してD偏光板を透過するか、それとも、H偏光状態からX偏光状態(-45°偏光状態)に遷移してD偏光板で吸収されるかが確率的に決まると考えられています。つまり、H偏光板とD偏光板との間の光子の状態は、H偏光状態(純粋状態)であると考えられています。しかし、これは可笑しい。なぜなら、そもそも、D偏光板はH偏光状態にある1個の光子に作用して、その光子をH偏光状態からD偏光状態へ、または、H偏光状態からX偏光状態へと確率的に遷移させるような量子力学的メカニズムではないからです。したがって、抽象自我などに責任転嫁することなく、D偏光板においてDX偏光測定が確かになされるものとし、かつ、D偏光板における光子の偏光状態の遷移が因果的に記述できるものとすれば、D偏光板に入射する前の光子の偏光状態は、D偏光状態とX偏光状態とが確率的に混合したDX混合状態だったといわざるをえません。では、光子はいつからDX混合状態だったのでしょうか。その答えは、帰納法と相対論的因果律から導かれます。すなわち、光子がDX混合状態に遷移する時空面は、D偏光板を用いた測定の選択に関する原因事象(量子力学的確率事象)を頂点とする未来光円錐面です。なぜなら、光子がD偏光板を透過するか、光子がD偏光板で吸収されるかのどちらかの結果がボルンの規則に従って確率的に生じることは経験的に明らかなので、帰納法と相対論的因果律を適用すると、その未来光円錐の内側に存在する測定前の光子の状態はDX混合状態として記述できるからです。そこで、もし光子が第1のH偏光板を透過する前から、第2のD偏光板を用いた測定が選択されていたならば、光子はH偏光板を透過した直後からDX混合状態であったといえます。したがって、H偏光板を透過した直後の光子の偏光状態はH偏光状態であるとする定説(射影仮説)は間違っていると結論できます。


測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側において、測定対象の状態は測定基底に関する混合状態であるとする解釈(実存主義的様相解釈)を検証する実験を企画します。図1は、1個の光子がH偏光板Ph1を透過した後、ビームスプリッタBSにおいて反射し、次に、V偏光板Pv2を透過して光子検出器D1で検出されるか、または、ビームスプリッタBSを透過し、次に、D偏光板Pd3を透過して光子検出器D2で検出される測定系です。現行の物理学(射影仮説)が正しければ、H偏光板Ph1を透過した直後の光子の状態はH偏光状態なので、ビームスプリッタBSにおいて反射した光子は、必ずV偏光板Pv2によって吸収されるため、光子検出器D1での光子の検出確率はゼロになると予測できます。しかし、後述するように、実存主義的様相解釈が正しければ、光子検出器D1での光子の検出確率はゼロになりません。


fig1-2

図2は、図1の測定系をミンコフスキー時空図上に表したものです。ここで、ビームスプリッタBSで反射した光子の世界線がct軸と平行に描かれている理由は、ビームスプリッタBSにおいてy方向へと反射した光子の世界線をx-ct面上へ投影したからです。また、V偏光板Pv2とD偏光板Pd3は、光子が測定系に入る前から図1のように設定されていたものとします。そのため、測定系内の光子は、V偏光板Pv2の設定を選択した量子力学的な確率事象Qv2を頂点とする未来光円錐の内側にあり、かつ、D偏光板Pd3の設定を選択した量子力学的な確率事象Qd3を頂点とする未来光円錐の内側にあります。したがって、光子がH偏光板Ph1を透過してからビームスプリッタBSに入射するまでの世界は、光子がHV測定される可能性とDX測定される可能性とが50:50の割合である世界です。そこで、その世界においては、光子がHV混合状態である可能性と、光子がDX混合状態である可能性とはそれぞれ50%だといえます。ここで、光子がH偏光板Ph1を透過してからビームスプリッタBSに入射するまでの光子の状態を記述するために、ボルンの規則を測定値に関する確率規則から測定基底を構成する状態ごとに可能性を案分する規則へと一般化して適用します。すると、光子がH偏光板Ph1を透過してからビームスプリッタBSに入射するまでの光子の状態は、50%の可能性としてH偏光状態(H偏光状態である可能性が50%、V偏光状態である可能性が0%のHV混合状態)であり、あとの50%の可能性としてD偏光状態とX偏光状態の可能性がそれぞれ25%のDX混合状態であるといえます。したがって、ビームスプリッタBSにおいて、光子がD偏光状態またはX偏光状態として反射し、かつ、その反射事象を境にHV混合状態へと遷移する可能性はそれぞれ12.5%になるので、結局、光子検出器D1では12.5%の確率で光子が検出されることになります。


上述のように、H偏光板Ph1を透過した光子が光子検出器D1において12.5%という確率で検出されるという目覚ましい効果が現れるなら、なぜ、今まで同様の効果が見過ごされてきたのでしょうか。多分、その原因は、図1の状況の特殊性、すなわち、測定系に導入する光子の数を1個に制限しているという状況の特殊性にあります。つまり、同様の効果が見過ごされてきた理由は、通常強度の光を図1の測定系に導入した場合、多数個の光子が同時に(コヒーレンス時間より短い時間差で)H偏光板Ph1を透過するので、同じ状態をとりやすいというボース粒子の性質から、光子がH偏光状態をとる可能性がH偏光以外の状態をとる可能性に対して著しく増大するため、期待される効果(シグナル)とノイズとの識別が困難になるからだと考えられます。


fig3

図3は、図1のD偏光板Pd3を45°回転させてV偏光板Pv3へと切り替えた測定系です。図3の測定系では、1個の光子が入力される前から、V偏光板Pv2, Pv3の設定が選択されていたとすると、第1のH偏光板Ph1を透過した直後の光子の状態はH偏光状態(H偏光状態である可能性が100%、V偏光状態である可能性が0%のHV混合状態)になるので、光子検出器D1と光子検出器D2における光子の検出確率はともにゼロとなります。したがって、D偏光板Pd3(図1)からV偏光板Pv3(図3)への切り替えや、その逆の切り替えを送信事象とし、光子検出器D1での光子の検出・非検出を受信事象とする無相互作用通信が成立します。しかも、図1や図3のように、ビームスプリッタBSから光子検出器D1まで光路長に対して、ビームスプリッタBSから第3の偏光板までの光路長を長くとった場合、その無相互作用通信は時間逆行通信になります。ただし、この時間逆行通信が因果律に反することなく成立するためには、光子は、ビームスプリッタBSに到達する前に、送信(第3の偏光板の切り替え)の原因事象を頂点とする未来光円錐の中に入っていなければなりません。

 


主観.客観...神観?

brocken

Magnus Manske, Spectre of the Brocken, 2011


現行の物理学は、二枚の舌を持っていて、一方の舌で、主観から独立した客観的実在を語りながら、もう一方の舌で、「いまここの私」(実存)を頂点とする現実の宇宙の歴史を語ります。


全ては物理的であるとする物理主義者は、芯が入っていないシャープペンシルを指して、これがシャープペンシルの全てだと言い張る人に似ています。


シャープペンシルには、機械部分だけでなく芯が不可欠なように、現実の物理世界には、客観的要素だけでなく、「いまここの私」(実存)という歴史を俯瞰する主観的要素が不可欠です。


なぜなら、現実の物理世界とは、「いまここの私」(実存)を頂点とする過去光円錐の中にある歴史的事実の総体だからです。


現実の世界において、客観とは私やあなたや彼ら彼女ら、つまり、私たちが共有可能な主観なのですから、主観と独立して存するという客観の定義は、言葉の定義としてすでに可笑しい。


したがって、主観と独立した実在というのは、客観的実在というより、むしろ、主観を超越した絶対者(神)だけが確認できる神観的実在だといえます。


物理学者が「神の一撃」とか「神はサイコロを振らない」とか「神の数式」という言い回しを好むのは、彼らが、主観に根差した現実的な客観よりも、主観を超越した絶対者(神)の視点に立った仮想的な客観(神観)を追い求めてきたことの表れだといえます。


物理学は、神の世界や死後の世界について語る宗教ではありません。


物理学は、「いまここの私」(実存)を頂点とする現実の世界について語る学問です。


現行の物理学における最大の問題は、「いまここの私」(実存)に対して、その重要性にふさわしい地位を与えていないところにあります。



非決定性,非力学性,因果性,量子もつれ

einstein

どこが、Spookyなのか?


決定論的な「仮想の物理世界」では、全時空にわたって歴史が確定しているので、歴史の頂点に立つ「いまここの私」(実存)は存在不可能です。
ゆえに、「いまここの私」(実存)が存在する「現実の物理世界」は、非決定論的な世界であるといえます。


物理世界を非決定論的に発展させる確率事象は、量子力学的な確率事象です。
また、物理世界では相対論的因果律が成立すると期待されます。
前者と後者から、非力学的かつ因果的な量子状態の時間発展が導かれます。


非力学的かつ因果的な量子状態の時間発展の例として、ホイーラーの遅延選択について考えてみます。1個の光子をMZ干渉計に投入した直後における干渉測定の可能性が99.999%(経路測定の可能性が0.001%)であったものとし、さらにその後、経路測定を確実に選択する原因事象(量子力学的確率事象)が生起した場合を取り上げます。その場合、「経路測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐面において、光子の状態が、二つの経路状態の重ね合わせとみなせる状態から、二つの経路状態の混合状態へと非力学的に遷移した。」という解釈が成り立ちます。そして、この解釈(実存主義的様相解釈)以外に、重ね合わせとみなせる状態から混合状態への遷移を因果的に記述できる解釈はありません。


量子もつれが、我々を何やら落ち着かない気分にさせている真の理由は、それが非力学的(Action at a Distance)であるからというより、むしろ、量子もつれ系の時間発展が因果的(相対論的因果律と整合的)に記述できていない(Spookyである)からだと考えられます。量子もつれ系の時間発展の因果的な記述は、実存主義的様相解釈、すなわち、「測定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐内にある測定対象の状態は、測定基底に関する混合状態である」とする解釈によってはじめて可能になります。なお、混合状態への遷移面が未来光円錐面であるということは、その遷移がローレンツ不変であるということを意味しています。



可能性の収縮

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何を見落としてきたのか?


シュレーディンガーの猫の思考実験では、箱の中の猫を覗こうとしている「いまここの私」(実存,観測者)を頂点とする過去光円錐の内側にある事実や可能性が問題になります。歴史の頂点に立つ実存にとって、箱の中の猫は、生と死との重ね合わせなどではなく、歴史的事実として生か死のどちらかに確定しています。なぜなら、そもそもこの実験は、「猫を表示媒体(ディスプレイ)として利用したアルファ粒子測定実験」であり、「生状態の猫と死状態の猫の干渉を観測するように設定された実験」ではいないからです。因果的に説明すれば、アルファ粒子測定選択の原因事象(量子力学的確率事象)を頂点とする未来光円錐の内側では、ガイガーカウンターに入射するアルファ粒子の状態は無いか有るかの混合状態なので、歴史の頂点に立つ「いまここの私」(実存.観測者)から見て、アルファ粒子の非検出,検出は歴史的事実としてどちらかに確定ており、それと対応して、猫の生,死も歴史的事実としてどちらかに確定しているということです。


シュレーディンガーの猫の実験系では、「いまここの私」(実存,観測者)を頂点とする過去光円錐の内側において、時間を前後して少なくとも2回の要素的な量子力学的確率事象が起こっています。まず、最初に起こる量子力学的確率事象は、アルファ粒子測定選択の原因事象です。そして、次に起こる量子力学的確率事象は、ガイガーカウンターによるアルファ粒子の非検出,検出事象です。下図のように、シュレーディンガーの猫の実験系をミンコフスキー図上に表すと、前記の二つの量子力学的確率事象を頂点とする各未来光円錐面を遷移面として、量子状態に関する可能性が非力学的かつ因果的に収縮する様子がよくわかります。


fig

現行の物理学では、観測者によって観測される前の観測対象の量子状態は、純粋状態であって、測定装置の測定基底に関する混合状態ではないと考えられています。すると当然、観測における波束の収縮はどのように起こるのかという疑問(観測問題)が生じます。この観測問題に直面した物理学者たちは、抽象自我と呼ばれる非物理的な概念や多世界と呼ばれる観測不可能な概念を持ち出して、「純粋状態は自然に時間発展する限り純粋状態のままである(閉じた量子系の状態の時間変化はハミルトン演算子(ハミルトニアン)により一義的に決定される)」という量子力学の公理(以下、自然決定論公理という)を死守してきました。
でも、ちょっと待ってください!自然決定論公理は本当に正しいでしょか?
実は、「いまここの私」(実存,観測者)に対して、我々がその重要性にふさわしい地位さえ与えてやれば、閉じた量子系であっても、その量子状態に関する可能性が収縮することはありえます。たとえば、「いまここの私」(実存,観測者)を頂点とする過去光円錐内の特定の時空領域にある閉じた量子系についていえば、次のようです。前記時空領域を脱出した時点のその量子系に対して、何等かの測定基底に基づいた測定が行われるものとし、かつ、その測定基底の選択に関する原因事象を頂点とする未来光円錐面が前記時空領域と交わっているものとします。すると、閉じた量子系であるにもかかわらず、その量子状態は、前記未来光円錐面を遷移面として、前記測定基底に関する混合状態へと非力学的に遷移するという解釈(実存主義的様相解釈)が成立します。


アインシュタインは、「私が見ていなくても、月は確かにある」といったそうです。彼がいったように、我々の歴史において、月は確かに存在します。にもかかわらず、自然決定論公理と射影仮説とを共に信じるなら、「抽象自我をもつ知生体がこの世界に誕生し観察するまでは、月の存在は確定していなかった」と主張する厳格なコペンハーゲン解釈に陥ります。また、たとえ射影仮説を捨てた(?)としても、自然決定論公理を死守しようとすれば、月が存在する多くの世界、並びに、月が存在しない多くの世界の並行的存在を主張する多世界解釈に陥ります。それに対して、物理学を除く科学全般において承認されている現実の歴史世界とは、抽象自我をもつ知生体が存在しないと思われる古生代でも、三葉虫が化石に示されたとおりに生息していた世界であり、ただ一つの月が存在する世界です。だから、物理学を除く科学全般において承認されている歴史的事実に対して、少ない歴史的事実しか認めない(三葉虫が化石に示されたとおりに生息していた歴史的事実を認めない)厳格なコペンハーゲン解釈も、極端に多い歴史的事実を認めてしまう多世界解釈も共にまずい解釈だと私は考えています。



ボルンの規則の一般化

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確率事象の充足理由とは何か?


量子測定においてある測定値が得られる確率を与えるボルンの規則の発見は、「閉じた量子系の状態の時間変化はハミルトン演算子(ハミルトニアン)により一義的に決定される」という量子力学の公理(以下、自然決定論公理という)の正当性に疑問を投げかけました。ところが、物理学者たちは自然決定論公理を信奉するあまり、射影仮説というアドホックな補助仮説(観測公理)を後から付け加えてその疑問を封じてしまいました。だがしかし、アドホックな仮説は、しばしば当の仮説の反証可能性を奪い、結果的に仮説そのものの科学的な地位を消し去ってしまうので、反証主義の立場からは認められません。


我々は、一歩下がって、ボルンの規則の背後に何があるのかを再考すべきです。ライプニッツは、「どんな出来事にも原因がある」、「どんなことにも、そうであって、別様ではないことの、十分な理由がある」という充足理由律を提唱しました。さらに、アルトゥル・ショーペンハウアーは充足理由律を四つの根に分けて考えました。その中の一つに「新たな状態には、充分な先立つ状態がある」という生成の充足理由律があります。この生成の充足理由律を量子測定に当てはめれば、測定された純粋状態(測定値)に充分に先立つと考えられる状態は、ボルンの規則によって可能性を振り当てられた混合状態しかありえません。ここで、確率を振り当てられたといわずに可能性を振り当てられたといったわけは、「可能性が収縮して測定値が得られる」という表現が「可能性→現実」という因果関係を考慮した上で適切は表現になっているからです。つまり、充足理由律に従えば、ボルンの規則は、測定時の測定対象の状態に関する確率則から、測定前の測定対象の状態に関する可能性の規則へと一般化されます。


次に、測定装置の設定に関する因果関係へと目を転じると、そもそも測定とは測定装置の測定基底を選択する出来事が事前にあったからこそ実現する現象であり、さらにその測定基底の選択にも必ず原因あることに気づきます。そして、測定基底選択の原因事象(量子力学的確率事象)を頂点とする未来光円錐の内側の測定対象は、当然ながら、その測定基底によって測定されることが確定しています。


測定基底選択の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側の測定対象は、当然ながら、測定直前の測定対象と全く同じ測定基底によって測定されることが確定しています。したがって、測定基底選択の原因事象を頂点とする未来光円錐内にある測定対象の状態は、一般化されたボルンの規則に基づいて可能性を振り当てられた混合状態であるといえます(:実存主義的様相解釈)。また、測定対象の状態に関する混合状態への遷移面が未来光円錐面になっているということは、この非力学的かつ因果的な遷移がローレンツ不変であることを意味しています。なお、測定基底選択の原因事象も量子測定も共に量子力学的確率事象であるという認識が示唆しているように、我々の歴史は量子力学的確率事象(確率的に現れる歴史的事実)の因果的連鎖によって形作られているということができます。



ボーアの直観から実存主義的様相解釈へ

bohr

Is it crazy enough?


ニールス・ボーアはEPR論文への反論の中で、次のように主張しました。


【主張1】
「ある粒子とそれに関するある特定の測定を行うように調整された装置とは、いろいろな点で単一の系をつくっているのであって、もしも装置の御膳立が変えられたならばこの系もある本質的な仕方で変えられることになる。こうした理由から、問題の粒子と相互作用するはずの装置の御膳立を一緒に特定することなしに、粒子の状態について何らかの推論を行うことは許されない。」
(B.デスパニア「量子論と実在」より引用)


以上のボーアの主張はEPR相関を念頭においたものですが、その思想を単一光子の偏光測定にあてはめれば、つぎのように主張できます。


【主張2】
「ある光子とそれに関するある特定の偏光測定を行うように調整された偏光板とは、いろいろな点で単一の系をつくっているのであって、もしも偏光板の透過角度が変えられたならばこの系もある本質的な仕方で変えられることになる。こうした理由から、問題の光子と相互作用(吸収あるいは透過)するはずの偏光板の透過角度設定を一緒に特定することなしに、偏光板に到達する前の光子の状態について何らかの推論を行うことは許されない。」


だがしかし、当のボーアを中心としたコペンハーゲン学派において合意形成が図られた量子力学の解釈、すなわち、コペンハーゲン解釈では【主張2】に反するつぎのような主張がなされます。


【主張3】
「ある光子とそれに関するある特定の偏光測定を行うように調整された偏光板とは、光子が偏光板に到達する前においては別々の系として捉えられるのであって、もしも偏光板の透過角度が変えられたとしても偏光板に到達する前における光子の偏光状態が何らかの本質的な仕方で変えられることはない。こうした理由から、問題の光子と相互作用(吸収あるいは透過)するはずの偏光板の透過角度設定とは関係なしに、「偏光板に到達する前における孤立した光子の偏光状態は一定である」という推論を行うことが許される。」


EPR相関を念頭においた【主張1】が正しいなら、単一光子の偏光状態に関する【主張2】も正しいといえそうなのに、測定前の測定対象と測定装置とを別々の系として捉えるコペンハーゲン解釈(【主張3】)がなぜ採用されたのでしょうか。その理由は、【主張1】における「もしも装置の御膳立が変えられたならばこの系もある本質的な仕方で変えられる」という文の「ある本質的な仕方」とは具体的にどんな物理的状況を指すのかをボーア自身が示せなかったからでしょう。つまり、ボーアは「ある本質的な仕方」の存在を直観的に見抜いてはいたが、それが具体的にどんな物理的状況を指すのかが曖昧だったために、観測問題がつきまとうことを承知の上で道具主義的なコペンハーゲン解釈を容認せざるを得なかったのでしょう。


「もしも装置の御膳立が変えられたならばこの系もある本質的な仕方で変えられる」という【主張1】の文は、歴史的事実としての本源的確率事象を認める立場に立って、相対論的因果律を考慮するとつぎのように書き換えられます。


【主張4】
「装置の御膳立(測定装置の設定)の原因となっている本源的確率事象を頂点とする未来光円錐の内側における測定前の測定対象の状態は、その測定装置の設定の相違に応じて異なる。」


つまり、「ある本質的な仕方」に本源的確率事象と相対論的因果律が関係していることは明らかです。しかし、そのような理解だけでは測定前の測定対象の状態と測定装置の設定との定量的な関係が不明です。


測定装置設定の原因となる本源的確率事象を頂点とする未来光円錐の内側における測定前の測定対象の状態は、ボルンの規則と帰納法にもとづく次のような推論により特定することができます。


【推論】
1.ボルンの規則は、測定装置の設定(測定基底)に対応する測定値(固有値)の確率分布を与える。
2.ゆえに、測定装置の設定の原因となる本源的確率事象を頂点とする未来光円錐の内側における測定では、常に、測定値の確率分布がボルンの規則に従う。
3.そこで帰納法を適用すると、測定装置設定の原因となる本源的確率事象を頂点とする未来光円錐の内側における測定前の測定対象の状態は、その測定基底に関する混合状態であり、その確率的混合の割合は一般化されたボルンの規則に従うといえる。


ただし、ここで「一般化されたボルンの規則」とは、測定時の測定対象の状態に関する確率則である現行のボルンの規則を、測定前の測定対象が採りえる状態に関する確率則(可能性の規則)へと一般化したものです。以上の【推論】が正しければ、【主張2】は次のように厳密な形に書き換えられます。


【主張5】
「ある光子(単一光子)とそれに関するある特定の偏光測定を行うように調整された偏光板とは、偏光板の透過角度設定の原因となっている本源的確率事象と相対論的因果律にもとづいて因果的かつ非力学的に(相互作用を介さずに)結ばれた単一の系をつくっているのであって、もしも偏光板の透過角度が変えられるならばその変化の原因に遡ってこの系も変えられることになる。こうした理由から、問題の光子と相互作用(吸収あるいは透過)するはずの偏光板の透過角度を一緒に特定することなしに、偏光板に到達する前の光子の状態について何らかの推論を行うことは許されない。ただし、偏光板の透過角度の設定に関する情報を持っているなら、帰納法に基づいた推論が可能である。すなわち、その偏光板の透過角度の設定に関する原因事象(本源的確率事象)を頂点とする未来光円錐の内側における測定前の光子の偏光状態は、その偏光測定基底に関する混合状態であり、その確率分布は一般化されたボルンの規則に従う。」


なお、【推論】や【主張5】によって示された解釈では、測定対象の状態の遷移面が未来光円錐面になっているため、その解釈は観測者の運動の仕方に依存せず、あらゆる観測者にとって一貫した記述が可能であるという意味でローレンツ不変です。


コペンハーゲン解釈や多世界解釈などの従来解釈は、「閉じた量子系の状態の時間変化はハミルトン演算子(ハミルトニアン)により一義的に決定される」という量子力学の公理(以下、自然決定論公理という)を前提としています。そのため従来解釈によれば、最初に水平偏光のみを透すH偏光板を透過した光子の偏光状態は、その単一光子系が外部系と相互作用しない閉じた量子系である限り、H偏光状態(純粋状態)のままです。ところが、【推論】や【主張5】によって示された解釈が正しいなら、測定前の光子の偏光状態は因果的な様相の変化に対応して相互作用を介することなく混合状態へと変化します。つまり、【推論】や【主張5】によって示された解釈では、自然決定論公理やその補助公理である射影仮説は成立しません。


【推論】や【主張5】に示された解釈が従来解釈に反する効果を予測する例として、第1のH偏光板を透過した単一光子の偏光状態が第2の偏光板によって測定される測定系について考えてみます。従来解釈が正しければ、もし第2の偏光板が垂直偏光のみを透すV偏光板であれば、測定対象の光子は第2の偏光板で確実に吸収されるはずです。しかし、【推論】や【主張5】に示された解釈が正しければ、光子が第2のV偏光板で吸収されるとは限りません。もし、光子が第1のH偏光板を透過する時空点において、第2の偏光板の透過角度を99.999%の確率で+45°に設定することが決まっており、かつ、0.001%の確率で+90°に設定することが決まっていれば、第1のH偏光板を透過した直後における光子の偏光状態は、一般化されたボルンの規則を適用することにより、49.9995%の確率で+45°偏光状態,49.9995%の確率で−45°偏光状態,0.001%の確率でH偏光状態,0%の確率でV偏光状態の混合状態だと考えられます。そこで、その後光子が第2の偏光板の透過角度を+90°に設定することを確定する原因事象(本源的確率事象)を頂点とする未来光円錐に入ったなら、その未来光円錐面で光子の偏光状態は遷移して、50.0005%の確率でH偏光状態,49.9995%の確率でV偏光状態の混合状態になります。つまり、上記の様に因果的様相が変化する特殊な事例では第1のH偏光板を透過した単一光子が第2のV偏光板も透過して観測される可能性がでてきます。


コペンハーゲン解釈は、現実世界を仮想的な神の視点(自然決定論公理)に立ったミクロスコピックな世界と現実の観測者の視点に立ったマクロスコピックな世界とに分けて捉え、それらの世界を繋ぐために射影仮説(観測公理)を要請しました。一方、多世界解釈は、現実世界を仮想的な神の視点(自然決定論公理)に立った多世界として捉え、射影仮説を排除しました。他方、【推論】や【主張5】によって示された解釈は、現実世界を現実の観測者(いまここの私,実存)が俯瞰する歴史世界として捉えます。そして、本源的確率事象を現実の観測者(いまここの私、実存)を頂点とする過去光円錐の内側(歴史世界)の歴史的事実として認め、仮想的な神の視点(自然決定論公理)を斥けます。そのため、その解釈では実存を基準とした可能性や時制・空間制や因果関係といった様相概念が物理の基本概念に加わります。そこで、私は【推論】や【主張5】によって示された新しい量子力学の解釈を実存主義的様相解釈と名付けました。


実存主義的様相解釈が正しければ、観測問題は解決します。なぜなら、それは測定前の測定対象の状態がどのような過程を経て測定基底に関する混合状態へと遷移していくのかを因果的に記述できるからです。たとえば、それはシュレーディンガーの猫が生状態と死状態との重ね合わせ状態ではなく生状態か死状態かの混合状態であることを保証します。シュレーディンガーの思考実験は、アルファ粒子の非到達・到達を測定するガイガーカウンターの設定に関する原因事象(本源的確率事象)が現実の観測者(いまここの私,実存)を頂点とする過去光円錐の内側で生起した歴史的事実であることを前提にしています。したがって、ガイガーカウンターの設定に関する原因事象を頂点とする未来光円錐の内側ではガイガーカウンターに向かうアルファ粒子は一般化されたボルンの規則に基づいて無いか有るかの混合状態だといえます。ゆえに、猫の状態も生状態か死状態かの混合状態であるといえます。また、実存主義的様相解釈はジョン・ホイーラーが遅延選択の思考実験において記述を断念した測定前の測定対象の状態遷移を因果的様相の変化に基づく非力学的な状態遷移としてローレンツ不変な形で記述できます(Great Smoky Dragonを覆う霧を払いその本体を白日の下に晒し出します)。



新しい世界像/1.ドグマからの脱却

Galileo

Galileo Galilei (1564-1642)


「自然という書物は数学の言葉で書かれている」というガリレオのドグマは、最初から万人に受け入れられたわけではありません。ガリレオの死から4年後に生まれたゴットフリート・ライプニッツは、物理的世界には数学的な必然的真理(理性の真理)だけでなく物理世界特有の偶然的真理(事実の真理)が存在することを強調しました。さらに、ライプニッツの死から8年後に生まれたイマヌエル・カントは自然の決定論的因果性を超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)の存在を認め,これを神,不死とならんぶ道徳のための要請としました。とはいえ、ガリレオのドグマを思想的基盤とするニュートン力学がもたらした科学技術の目覚ましい発展(科学革命)の前にライプニッツやカントらが描いた非決定論的な世界像は次第に色あせ科学的な世界像として顧みられなくなっていきました。


神聖なガリレオのドグマに最初に動揺を与えたのは、自然現象が本質的に不可逆であることを保証する熱力学第二法則の発見でした。もし、ガリレオのドグマが正しくて自然現象が決定論的な(時間反転に対して不変な)方程式によって十全に記述できるなら、自然現象は本質的に可逆なはずです。ところが我々の肉体を含め身の回りの多くの物事は不可逆に変化していきます。例えば、グラスに浮かべた氷はやがて溶けますが、水が自然に氷と温水に分かれることはありません。熱力学的な不可逆性は、現象の先後関係を規定しています。そして、先後とは観測者の意識そのものです。つまり、熱力学第二法則の発見は、物理世界が人間の意識とは無関係に存在し決定論的に記述できるというガリレオやデカルトやニュートンらによる世界観に疑問を投げかけました。


量子力学の登場によって、ガリレオのドグマはいよいよ窮地に追い込まれました。量子力学の確率解釈によれば、量子的粒子に関する測定値は本質的な意味で確率的にしか予測できません。たとえば、1個の光子がビームスプリッタを透過して観測されるかそれとも反射して観測されるかは本質的な意味で確率的であって、予めどちらかに決定していたとはいえません。それでも決定論にしがみつこうとするなら、量子測定の測定値の分散に対応する多世界が存在し、それぞれの世界の観測者が異なる測定値を観測するという多世界解釈を受け入れざるをえません。しかし、我々が経験できる現実の物理世界はユニークな歴史を持つユニークな世界です。ですから、多世界解釈は現実に即した解釈ではなく、ガリレオのドグマ(決定論的世界観)を救うという不純な動機にもとづく意図的・虚構的な解釈だといわざるをえません。


近年における人工知能技術や脳科学の急速な発展は、心の哲学を科学の前面へと押し出しました。いままさに、意識や自由意志といった主観的な概念を扱える科学の新しい世界像が強く要請されています。仮想的なガリレオのドグマから脱却し、非決定論的に発展する現実の物理世界において観測者(いまここの私、実存)がどのような地位を占めるのかを明確にすべき時が来たのです。



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