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時間逆行通信の原理/5.覚悟

hiroshima
HIROSHIMA (1945 AD)
 

習慣はわれわれの本性である。‥‥したがって、われわれの霊魂も、数、空間、運動を見ることに慣れたため、それを信じ、それだけしか信じないのであるということを、だれが疑うであろう。

パスカル『パンセ』前田陽一他訳より


ガリレオやデカルトやニュートンといった偉大な先人達が、決定論的かつ実在論的な世界観を物理学的世界観として採用したことで、主観を排除しかつ実存を無視することが科学的な態度であるかのような錯覚が一般に蔓延することになりました。アインシュタインまでが「『今』には何か本質的なものがあるが‥‥それは科学の領域の外部にある」といって、決定論的で実在論的な世界観を擁護しました。しかし、便法を真理へとすり替えたツケは、物理学の根本を揺るがす大問題、すなわち、量子力学の観測問題として回ってきました。


現実の物理世界は歴史世界です。その歴史世界の頂点にはいまここの私が存在します。また、歴史世界は私と他者との共通認識に基づいて語られる世界です。よって、本来物理学は相互主観的(間主観的)な視座に立つべき学問だといえます。


量子力学的な確率事象をミンコフスキー時空図を用いて表すためには、いまここの私の時空点(Now*Here記号)を明示しなければなりません。また、測定対象の状態に関する可能性の収縮がローレンツ不変であるためには、つまり、量子力学と相対論とを整合させるためには、その収縮が測定の原因事象(量子力学的確率事象)を頂点とする未来光円錐面で起こると考えなければなりません。そこで、物理学的世界観として承認されてきた決定論的で実在論的な世界観(唯物的世界観や二元論的世界観)を便法へと格下げして、非決定論的で相互主観的な世界観(中立一元論的世界観)に立った新しい物理学を構築しなければならない‥‥と私は考えています。


時間逆行通信の発明は、ドグマを粉砕して新しい物理学への突破口を開くのに十分な破壊力を持っています。とはいえ、素人の不遜でクレージーな提案を冷静に受け止めて協力してくれる専門家などいるわけがありません。ここに至り、私が進むべき道は自ら時間逆行通信装置を製作し検証する道以外にありませんでした。


時間逆行通信の原理(完)



時間逆行通信の原理/4.時間逆行通信装置

wells
Herbert George Wells (1866–1946)
 

時間逆行通信は、驚くほどシンプルな光学装置によって実現できます。図7のように、第1のH偏光板P1hを透過した1個の光子の光路を分岐比50:50のビームスプリッタBSにより分岐し、反射側光路の末端に送信者Aliceを配置し、透過側光路の末端に受信者Bobを配置します。Aliceは、間近の反射側光路に挿入した第2の偏光板P2をH偏光板P2hからD偏光板P2dに、あるいは、D偏光板P2dからH偏光板P2hに切り替えることによりバイナリー信号を送信します。Bobは、透過側の光路端に設置した第3のV偏光板P3vと光検出器PDを用いて光の非検出,検出を測定することによりバイナリー信号を受信します。図7に示したようにAlice側の光路長をBob側の光路長よりも長くとり、かつ、相対論的因果律に基づく事象配置条件を満たせばAliceからBobへの時間逆行通信が成立します。


概念図

図8は、図7の1光子系の時間発展を時空図を用いて示したものです。ただし、光子の世界線をx-ct平面上に図示するために、便宜上、光子がビームスプリッタBSへ入射する角度θを0°に設定しています。


図8_1_2

図8-(1)はAliceが第2の偏光板P2をH偏光板P2hに設定した状況を示しています。第1のH偏光板P1hを透過した直後の1個の光子は、第2のH偏光板P2hか第3のV偏光板P3vかのどちらかによって測定されることが確定しています。つまり、そのとき、光子はHV測定されることが確定してます。そこで、その様相的な偏光状態はH偏光状態である確率が100%でV偏光状態である確率が0%のHV混合状態、すなわち、H偏光状態です。よって、1個の光子はH偏光状態のままビームスプリッタBSを透過してBob側光路を進んで第3のV偏光板P3vで吸収(遮断)されるので、光検出器PDでの検出確率はゼロになります。

一方、図8-(2)はAliceが第2の偏光板P2をD偏光板P2dに設定した状況を示しています。その場合、第1のH偏光板P1hを透過した直後の1個の光子は第2のD偏光板P2dか第3のV偏光板P3vかのどちらかによって測定されることが確定しています。つまり、そのとき光子は偏光状態は以下の様相的混合状態になります。


D偏光状態である確率 ‥‥ 25%
X偏光状態である確率 ‥‥ 25%
H偏光状態である確率 ‥‥ 50%
V偏光状態である確率 ‥‥  0%


したがって、ビームスプリッタBSを通過(反射,透過)した直後の偏光状態は以下のような様相的混合状態になります。


Alice側光路にあってD偏光状態である確率 ‥‥ 25%
Alice側光路にあってX偏光状態である確率 ‥‥ 25%
Bob側光路にあってH偏光状態である確率  ‥‥37.5%
Bob側光路にあってV偏光状態である確率  ‥‥12.5%


よって、1個の光子がV偏光状態としてBob側光路を進んで第3のV偏光板P3vを透過し、光検出器PDで検出される確率は12.5%になります。つまり、図のように1個の光子が第1のH偏光板P1hを透過する時空点が、第2偏光板P2の切り替え(P2h ⇔ P2d)の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側にあるという事象配置条件が満されていれば、Aliceによる第2偏光板P2の切り替え(P2h ⇔ P2d)に対応してBob側の光検出器PDの検出確率も変化(0% ⇔ 12.5%)するので、AliceからBobへの時間逆行通信が成立します。

なお、上記の時間逆行通信は、光子ビームのコヒーレンス長(可干渉長)内に存在する光子がたかだか1個であるような1光子系の場合に成立する効果です。コヒーレンス長内に多数の光子が存在するような通常の強度の光では、SN比が極端に悪くなり時間逆行通信効果の観測は困難になります。



時間逆行通信の原理/3.確率則

Blaise Pascal (1623 - 1662 )
Blaise Pascal (1623-1662 )
 

H偏光板を透過中の1個の光子の偏光状態はH偏光状態です。では、H偏光板を透過した直後の1個の光子の偏光状態はH偏光状態だと断言できるでしょうか。従来の物理学の答えはYesです。しかし、その答えは間違いです。なぜなら、図5のように1個の光子がH偏光板に入射する前にそのH偏光板によるHV測定に続いてD偏光板によるDX偏光測定が行われることが確定していたとすれば、1個の光子はH偏光板を透過した直後にDX混合状態へと様相遷移するからです。このDX混合状態は、D偏光状態,X偏光状態それぞれの確率が50%の様相的混合状態です。つまり、ボルンの規則は測定値に関する確率則から測定前の測定対象の様相的混合状態に関する確率則へと一般化されます。


確率則図5

次に、量子コイントスにより半々の確率で(V偏光板によるHV測定),(D偏光板によるDX測定)どちらかの履行を定める設定において、図6のように1個の光子がH偏光板を透過した後に(V偏光板によるHV測定)の履行を定める量子コイントスを頂点とする未来光円錐へ入る場合について考えてみます。


確率則図6

この場合、H偏光板を透過した直後における1個の光子の偏光状態は、つぎのような様相的混合状態になります。


H偏光状態である確率 ‥‥ 50%

V偏光状態である確率 ‥‥   0%

D偏光状態である確率 ‥‥ 25%

X偏光状態である確率 ‥‥ 25%


H偏光状態の確率が100%にならないわけは、H偏光板透過直後の段階ではまだDX測定が行われる可能性が50%あるからです。そして、その光子が(V偏光板によるHV測定)の履行を定める量子コイントスを頂点とする未来光円錐へ入った直後の偏光状態は、つぎのような様相的混合状態になります。


H偏光状態である確率 ‥‥ 75% (= 50% + 12.5%+ 12.5%)

V偏光状態である確率 ‥‥ 25% (= 12.5% + 12.5%)


したがって、H偏光板を透過した1個の光子は25%の確率でV偏光板を透過して検出されます。この推論は、クロスニコルに配置(偏光軸を互いに直交するように配置)した1対の偏光板は光を遮断するという光学の常識に反しています。しかし、従来の光学実験におけるクロスニコル配置では、1個の光子が第1の偏光板を透過するときにはすでに第2の偏光板をクロスニコルに配置することが確定しているといえるので、上記の推論が経験的事実に反しているわけではありません。



時間逆行通信の原理/2.様相遷移

Sir Francis Bacon (1561-1626)
Sir Francis Bacon (1561-1626)
 

ムルソーが処刑されるか釈放されるかの運命が評決(量子コイントス)によって定められるように、1個の光子の偏光状態が「HV偏光測定デバイス(水平偏光板や垂直偏光板など)」で測定されるか「DX偏光測定デバイス(+45°偏光板や-45°偏光板など)」で測定されるかの運命もまた量子コイントスによって定めることができます。その場合、1個の光子の偏光状態が図3のように「H(水平)またはV(垂直)」として測定されるか、あるいは、図4のように「D(+45°)またはX(-45°)」として測定されるかの可能性は、量子コイントスを頂点とする未来光円錐面で収縮します。


様相遷移

図3の場合、経験的につぎのことがいえます。

・1個の光子の偏光状態は、HV測定の履行を定めた量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側において、常に、H状態かV状態かのどちらかの状態として測定された。

この状況は、青色メガネをかけたら景色が青のモノトーンに変化して見えるといった状況とは本質的に異なります。なぜなら、青色メガネをかけて黒く見える物体が実は赤い物体だったということはありえますが、H偏光板(あるいはV偏光板)を使ってH状態として測定された1個の光子は、少なくとも、H偏光板を透過する時点(あるいはV偏光板で吸収される時点)では実際にH偏光状態だからです。また、HV測定に使うH偏光板やV偏光板は、1個のD偏光光子(あるいは1個のX偏光光子)をH偏光光子かV偏光光子かのどちらかに確率的に変換する量子力学的メカニズムではありません。そこで、帰納法を適用するとつぎのことがいえます。

・1個の光子の偏光状態は、HV測定の履行を定めた量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側において、H状態とV状態との混合状態(HV混合状態)である。

ただし、このHV混合状態はHV測定に一意的に対応した状態なので、測定に関して多意的な量子力学的な混合状態(密度行列により記述される混合状態)とは本質的に異なります。つまり、このHV混合状態は力学的混合状態ではなく様相的混合状態です。


1個の光子は、HV偏光測定の履行を定めた量子コイントスを頂点とする未来光円錐の外側においてどのような偏光状態であったとしても、その未来光円錐の内側ではHV混合状態になります。したがって、光子の様相的な状態はその未来光円錐面で遷移するといえます。私は、そのような状態の遷移を様相遷移と名付けました。様相遷移が未来光円錐面で起こるということは、その遷移が「観測者の運動の仕方に依存せず、あらゆる観測者にとっての一貫した記述が保証されている(ローレンツ不変である)」ということを意味します。そして、その事実は上記の観測理論の正当性を強く示唆しています。



時間逆行通信の原理/1.力学的状態と様相的状態

Chanel Guillotine (Breakfast Nook), 1998. Tom Sachs
Chanel Guillotine (Breakfast Nook), 1998. Tom Sachs
 

殺人罪に問われて独房に収監されている被告ムルソーの運命について考察してみましょう。ここでは簡単のために有罪(死刑)か無罪かの陪審評決が量子コイントスによって下されるものとします。また、ムルソーの処刑あるいは釈放という事象は、全体状況を観察する観察者(いまここの私、実存)を頂点とする過去光円錐の中に含まれるものとします。


ムルソー処刑

図1のように、ムルソーの処刑を確認した観測者からみれば、死刑評決の量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側のムルソーは処刑されることが確実だったといえます。一方、図2のようにムルソーの釈放を確認した観測者からみれば、無罪評決の量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側のムルソーは釈放されることが確実だったといえます。


ムルソー釈放

ただし、図1と図2のどちらの状況であっても、評決の量子コイントスを頂点とする未来光円錐の外側のムルソーは処刑されるか釈放されるか不確定だったといえます。ですから、量子コイントスを頂点とする未来光円錐面を境界として処刑か釈放かに関する可能性が収縮したといえます。このように、評決を頂点とする未来光円錐面を境界としてムルソーの運命は劇的に変化しますが、だからといって、その未来光円錐面において評決に起因する何等かの力学的作用が独房内のムルソーに加わったわけではありません。つまり、ムルソーの力学的状態の変化はその未来光円錐面と無関係だが、ムルソーの様相的状態(ムルソーの運命)はその未来光円錐面で大きく変化するといえます。なお、図1のように観測者(いまここの私、実存)を一々描き込むと図が煩雑になるので、今後は図2に示したNow*Here 記号(筆者提案)を使ってそれを表すことにします。


ムルソーの様相的状態は図1や図2のように時空図中(物理世界の中)の状態として示せますから、ムルソーの物理的状態を完全に記述ためには、力学的状態だけでは不十分で可能性や必然性に関する様相的状態も同時に記述する必要がありそうです。ところが、従来の物理学は、ムルソーの様相的状態には一切言及しません。その理由は、評決(量子コイントス)を原因としてムルソーが処刑か釈放かのいずれかの結果に至るという因果的変化を力学的状態の変化として問題なく記述できるからです。また、物理世界が主観と独立した客観的世界だと考えている唯物論者や物心二元論者は、観測者(いまここの私、実存)を物理世界の主要な要素に組み入れることに激しく反発するでしょう。だがしかし、ミクロ系に目を転じれば、彼らの頑な態度も揺らぎ始めます。量子現象が本源的に確率的であるという事実は、量子状態が力学的に記述されるだけでなく様相的にも記述されべき状態であることを意味しています。また、量子力学の観測問題を解決するためには、測定対象の状態の因果的変化を様相的状態の変化として記述する必要があると考えられます。



予知の歴史/5.時間逆行通信

stranger
"The Stranger" by Albert Camus - 1967 - Dir. Luchino Visconti

時間逆行通信は因果律に反するから不可能だといわれ続けてきました。しかし、もし送信事象と受信事象とが非因果的な相関関係にあるような通信が可能なら、因果律に反しない時間逆行通信はありえます。送信事象と受信事象とが非因果的な相関関係にある状況とは、図6のように「通信の原因事象」から出発した因果系列が途中で枝分かれしてそれぞれの枝(因果系列)の末端に送信事象と受信事象が位置するような状況です。この場合、送信事象と受信事象とは、同一の「通信の原因事象」と因果関係にあるため相関関係になりえますが、お互いは直接的な因果関係にありません。


fig6

図6において、送信が送信者Aliceの自由意志に基づいて選択されるとすると、その選択よりも前に通信の原因が確定しているのはパラドックスのようにみえるかもしれません。しかし、それはパラドックスではありません。なぜなら、一般に「自由意志とよばれるユニークな選択機能や価値基準」は非決定論的に形成されますが、「自由意志による選択」は決定論的に実行されるからです。つまり、図6の「通信の原因事象」が確かに原因事象であるといえるなら、通信の選択に関する送信者Aliceの自由意志(ユニークな選択機能や価値基準)は、彼女が通信の原因事象を頂点とする未来光円錐の内側に入る前に確立していたといえます。


話が抽象的すぎるので、カミュの小説「異邦人」のシチュエーションを拝借して思考実験をしてみましょう。殺人罪に問われ独房に収監されている被告ムルソーは、自分が死刑なのか無罪なのかを知るために、判決言渡し後の未来にいる恋人マリーから時間逆行通信を使ってその判決内容を受信するという場面を考えます。(どうやって独房に時間逆行通信の受信機をセットしたかについては、ここでは問わないことにします。)さて、判決の言渡しは陪審員の評決に基づいていますから、通信の原因は少なくともその評決まで遡ることができます。ここでは、簡単のためにその評決(死刑または無罪)が量子コイントスによって決められたとします。そして、その量子コイントスが通信の本源的な原因事象であるといえるなら、「ムルソーとの約束を守る」というマリーの自由意志(ユニークな選択機能や評価基準)は、彼女がその量子コイントス(通信の原因事象)を頂点とする未来光円錐の内側に入る前に確立していたといえます。図7のように、マリーが約束を守ることが確実だからといって、彼女が自由でないとはいえません。なぜなら、彼女が自由だということは、「非決定論的に培われたユニークな選択機能や価値基準(自由意志:ムルソーへの愛)」に基づく「決定論的な行為(ムルソーと交わした約束の履行)」が妨げられないということだからです。


fig7

本節の議論からつぎの結論が導かれます。
・「因果律に反しない時間逆行通信は不可能だ」とはいえない。
・「自由意志と決定論のパラドックスに陥らない時間逆行通信は不可能だ」とはいえない。
したがって、「時間逆行通信は不可能だ」という常識には説得力のある根拠が何もありません。そこで、私は「時間逆行通信の発明は真摯に取り組むべき基礎物理学的課題だ」と確信するに至りました。


予知の歴史(完)



予知の歴史/4.無相互作用通信

einstein-dragon
Is it spooky enough?

通信が成立するためには、送信側と受信側とを近接作用によって結びつける音や光といった通信媒体が必要だというのが常識です。しかしその常識に反して、通信媒体を介さない通信がごくありふれた光学装置を使って実現可能です。


MZ3

図3のように、マッハツェンダー干渉計に光を入力した場合、上光路と下光路の光路差をゼロにすれば、上光路経由の出力状態と下光路経由の出力状態とが干渉して、出力光は検出器D1では検出されません。


一方、図4のように上光路にシャッターSHを挿入した場合、検出器D1では入力光の4分の1が出力光として検出されます。なお、各図における光路を示す赤線の濃淡はその光路を通る光の強度の強弱を表しています。


MZ4

そこで、以上の効果を地震警報システム(通信的予知システム)に利用すれば、図5のように震源地で地震を感じたAliceは上光路にシャッターSHを挿入することにより地震の発生を遠方にいるBobに伝えるることができます。


MZ5

図5の地震警報システムでは、AliceがBobに対して地震発生を通報している場合は、上光路がシャッターSHで閉鎖されているため、Alice-Bob間の上光路に通信媒体(光)は存在しません。また、地震が発生しない場合は、上光路が開通しているため、干渉によりビームスプリッタBS2・検出器D1間に通信媒体(光)は存在しません。したがって、この地震警報システムは、送信側と受信側とが相互作用(近接作用)によって結ばれていないという意味で、無相互作用通信システムだということができます。つまり、次のような反事実的条件文に従う非力学的な(様相的な)情報伝達が可能だということです。


もし、地震が起こらず、Aliceが上光路にシャッターSHを挿入しなかったなら、Bobの検出器D1における光の検出はなかっただろう。


予想される反論は、「ビームスプリッタBS2・検出器D1間の光を干渉によって完全にゼロにするのは事実上不可能だから、相互作用は残る」というものです。しかし、マッハツェンダー干渉計に入力する光をたった1個の光子だけに限定した場合でも非力学的(様相的な)な効果が成立することがエリツール・ベイドマン爆弾テスターの実験によって実証されているので、その反論は通用しません。


なお、この無相互作用通信では送信事象と受信事象とが因果関係にあるので、その通信速度が光速を超えることはありません(∵相対論的因果律)。



予知の歴史/3.計算的予知と通信的予知

Hermann Minkowski
Hermann Minkowski

予知とは、未来の事態の情報を先取りすることです。そして、何が未来で何が過去なのかは、いまここの私(予知者、実存)を基準として規定されます。そこで、予知に関する全体状況は、いまここの私(予知者、実存)を中心としたミンコフスキー時空図によって示されます。例えば、スーパーコンピュータを使った台風発生予測の全体状況は図1のように示すことができます。


計算的予知

図1のように、既知データと予測アルゴリズムと計算手段を使った予知を「計算的予知」と呼ぶことにします。なお、科学的な予知には計算的予知以外に通信に基づく予知もあるので、そちらを「通信的予知」と呼ぶことにします。通信的予知の例としては、図2に示すような地震警報システムを挙げることができます。これは、遠方の震源からの地震発生の第1報をいまここの私(予知者、実存)が高速の通信手段を使って受信することにより、その受信地点に地震の揺れが到達する前に揺れを予知するシステムです。(※ 実際の地震警報システムは、通信的予知システムと計算的予知システムとが複合したシステムになっています。)


通信的予知

計算的予知でも通信的予知でも、「過去の事態(原因事態)」から導いた「未来の事態(結果事態)」の情報をいまここの私(予知者、実存)が先取りするという点では違いはありません。そこで、予知される未来の事態(結果事態)に対する原因事態が時空上の1点の原因事象だとみなせる場合、科学的な予知が成立するためには、いまここの私(予知者、実存)はその原因事象を頂点とする未来光円錐の内側に位置しなければなりません。



予知の歴史/2.物理学

Archimedes
"Archimedes" by Niccolò Barabino

紀元前500年頃に、中国では諸子百家が活躍し、インドでは仏教が成立し、パレスティナではイザヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは三大哲学者(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)が輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となりました。哲学者カール・ヤスパース(1883年-1969年)は、この世界史的、文明史的な一大エポックを枢軸時代(Axial Age)と名付けました。


予知の歴史という観点に立った場合、枢軸時代において特筆すべき出来事は、古代ギリシアにおける自然哲学の勃興だといえます。中東やインドや中国では預言者の言説や神話的世界観に表現された天下り的な「神の原理」について思弁を重ねたのに対して、ギリシアでは「自然の原理」の解明に力点を置く自然哲学が発展しました。そして、偉大な数学者であり発明家でもあったアルキメデスが定量的な実験に基礎を置く物理学を創始しました。


古代ギリシアに灯った物理学の火種は、ルネサンスに至って力強い炎となりヨーロッパで燃え盛りました。レイ・カーツワイルがいうところの収穫加速の法則が物理学の場において発動したといえるかもしれません。そして、ニュートン力学の大成功により、「もし宇宙の全ての原子の運動および位置が分かるならば未来は完全に予測できる(→ラプラスの悪魔)」という大胆な主張がなされるに至りました。


二つの世界大戦にまたがる時代のヨーロッパにおいて、現代物理学の二大理論である量子力学とアインシュタインの相対性理論が誕生しました。量子力学は量子現象の本源的な確率性を明らかにすることにより、また、相対性理論は時空概念や因果概念を刷新することにより、それぞれが予知の歴史に新たなページを書き加えました。



予知の歴史/1.経験則と神託と預言者

stonehenge

与謝蕪村
菜の花や 月は東に 日は西に
 

地を這うものも天翔けるものもそれぞれにリズムを刻んでいます。太古の人々は、繰り返し観察される事象から経験則を導いて、日を読み月を読み季節を読むすべを身につけました。動物は危険な気配を本能的に察知する能力において人間よりも優れていますが、まだ気配すらない未来の危険を予測して事前に対処できるのは人間だけです。したがって、予知の歴史は、人間の歴史であるともいえます。普遍的な自然法則という概念がなかった古代においても、農耕文明の発展により正確な暦や各種の計測・設計・製造技術への要求が高まり、天文学や数学や工学が発展し、それに伴って予測の技術も発達しました。とはいえ、そのような経験則に基づく予測だけでは経験したことがない事態には対処できません。事実、人々の生活は気象の激変や疫病の流行などの災厄に翻弄されてきました。そのような困難に直面したとき、人々は宇宙を統べる者すなわち神を想定しその神に向かって助けを求め、事態が好転すれば、神のご加護だと喜び、事態が悪化すれば神に見捨てられたと嘆きました。人々の神への要求は次第にエスカレートして、将来の吉凶や正しい選択のお告げを求めて、焼いた骨や神がかりとなった巫女を受信機として神託を受信するようになりました。そして、いつしか預言者が現れ、神との通信を一手に引き受けるようになりました。



新しい世界像/5.実存主義的様相解釈

Albert Camus ( 1913-1960)

Albert Camus (1913-1960)


シュレーディンガーの猫の実験において、観測者が箱(密室)の蓋を開けて猫の死体を発見し、さらに、その検死によって箱の蓋を開ける10分前に猫の鼓動が止まったと推定されたとします。その場合、反事実的条件文を用いれば


「箱の蓋を開ける10分前に猫の死という事象が起きなければ、箱の蓋を開けた後にそのような検死結果は得られなかったはずだ」


といえます。そして、さらなる科学捜査によって猫の死因は青酸ガスの吸入であり、その青酸ガスの放出原因は、ガイガーカウンターによるアルファ粒子の検出だと断定されるでしょう。つまり、猫の死や青酸ガスの放出やアルファ粒子の検出という事態は科学捜査によってすべて歴史的事実として認定されます。ところが、ガイガーカウンターで検出される前のアルファ粒子の状態は存在が確定した状態であったといえる確証はありません。なぜなら、全く同じ初期状態から出発してもアルファ粒子が検出されない場合があるからです。とはいえ、つぎのような反事実的条件文は真であるはずです。


「ラジウム塊から放出されるアルファ粒子の経路上にガイガーカウンターを置くという事象が起きなければ、アルファ粒子の検出・非検出という確率事象は起きなかったはずだ」


そこで、この殺猫事件の実行犯は、ラジウム塊の前にガイガーカウンターを含む殺猫メカニズムをセットした人物だということになります。さて、ラジウム塊の前にガイガーカウンターを置くという行為にも「もしその事象がなければ」といえる原因事象があるはずです。そして、その原因事象の原因事象というように遡っていけば、最後にはそれ以上遡ることができない本源的な原因事象(量子力学的確率事象)にたどり着くと考えられます。したがって、


「ラジウム塊の前にガイガーカウンターを置くことを確定する本源的原因事象が起きなければ、アルファ粒子の検出・非検出という確率事象は起きなかったはずだ」


といえます。そして、アルファ粒子の検出事象が歴史的事実だとすれば、ガイガーカウンターへの経路上のアルファ粒子の状態は「有ると無いとの重ね合わせ状態」ではなかったといえます。なぜなら、ガイガーカウンターは「有ると無いとの重ね合わせ状態」を有るか無いかのどちらかの状態に確率的に変換する(収縮させる)量子力学的なメカニズムではないからです。そこで、つぎのような反事実的条件文は真であるはずです。


「ラジウム塊の前にガイガーカウンターを置くことを確定する本源的原因事象が起きなければ、ガイガーカウンターへの入射経路上のアルファ粒子の状態は、ガイガーカウンターにおいて確率的に検出・非検出される状態にはならなかったはずだ」


この「ガイガーカウンターにおいて確率的に検出・非検出されるアルファ粒子の状態」とは、「有るか無いかの混合状態」にほかなりません。ゆえに、


「ラジウム塊の前にガイガーカウンターを置くこと(アルファ粒子測定の選択)を確定する本源的原因事象を頂点とする未来光円錐の内側におけるガイガーカウンターへの入射経路上のアルファ粒子の状態は、有るか無いかの混合状態である」(→実存主義的様相解釈)


と推定できます。


反事実的条件文は、過去形で記述された現実(歴史的事実)と可能性とについて条件文です。そして、何が過去で何が未来なのか、あるいは、何が現実(歴史的事実)で何が可能性なのかは、いまここの私(実存、観測者)を基準として規定されます。したがって、反事実的条件文が現実の物理世界の構造に関する記述だとすれば、いまここの私(実存、観測者)は物理的世界像(現実の物理世界の構造に関する記述)の中心(基点)に位置するといえます。


新しい世界像(完)


【補足】このシリーズ記事では、毎回冒頭に関連する歴史上の人物の肖像を掲げてきました。しかし、この最終回に限っては適当な人物が見当たりませんでした。そこで、筆者と思想的に近いと思われるアルベール・カミュの肖像を掲げることで、この場を借りて、いまこの世界に台頭しつつある偏狭なナショナリズムや選民思想への「反抗」の意志を表しました。



新しい世界像/4.歴史世界

Julius Caesar 100 BC-44 BC

Julius Caesar (100BC-44BC)


我々は、カエサルと一緒にルビコン川を渡った経験がなくても、あるいは、生きた三葉虫を触った経験がなくても、「内乱記」を読んだり、あるいは、化石を観察したりすることによって、カエサルがルビコン川を渡ったという事態や三葉虫が古生代の海に生息していたという事態を歴史的事実として受け入れています。また、我々は密室殺人事件の被害者の死体を検死することにより、例えば、その被害者が10時間前に殺されたという事態を歴史的事実として受け入れることができます。同様に、我々は青酸ガスを吸って死んだ「シュレーディンガーの猫」に関する精密な検死結果にもとづいて、例えば、観測者が箱(密室)を覗き込んで猫の死体を発見する10分前に猫の鼓動が止まったという事態を歴史的事実として受け入れることができます。そして、


シュレーディンガーの猫の死が歴史的事実だとすれば、厳格なコペンハーゲン解釈は因果律と矛盾することになります。


なぜなら、厳格なコペンハーゲン解釈がいうように箱の蓋を開く前の猫の状態が「生と死の重ね合わせという一つの状態」であったとすれば、その後における死体の発見によって、過去に遡るかたちで猫の状態が「生と死の重ね合わせという一つの状態」から全く別の「死という一つの状態」に変化したことになるからです。また、


シュレーディンガーの猫の死が歴史的事実だとすれば、多世界解釈は我々の現実世界を反映した解釈ではないことになります。


なぜなら、猫の死が歴史的事実だとすれば、そのようなユニークな歴史的事実の総体としてのユニークな歴史世界こそが我々の現実世界だといえるからです。


ではなぜ、厳格なコペンハーゲン解釈や、多世界解釈のような壮大な欺瞞がまかり通ってきたのでしょうか。それは、「自然は決定論的な方程式によって記述でき、その方程式に対応する客観的実在が観測者(いまここの私、実存)と無関係に存在する」という信念に基づいてガリレオやデカルトやニュートンらが描き上げた世界象に我々が囚われてきたからではないでしょうか。

冷静に考えれば、数学による自然の記述には明らかに限界があります。


数学の女神は、可能性の泉を汲み尽すことができても、その可能性の中から現実をすくい上げて歴史を創ることはできません。


ルビコン川を前にしたカエサルが投げた賽が、量子サイコロであったとすれば、その賽投げこそが「ルビコン渡河」の本源的な原因事象であったといえます。すると、その量子賽投げ事象を頂点とする未来光円錐の内側の世界は「ルビコン渡河」の実行が確定した世界だといえます。ゆえに、その未来光円錐面を時空的境界として世界の歴史的様相が変化したのだといえます。私は、このような量子力学的確率事象を基点とした相互作用によらない歴史的様相の変化こそ、従来の物理学が見逃してきた本質的な自然発展の在り方だと考えています。例えば、シュレーディンガーの猫の思考実験におけるアルファ粒子の状態(歴史的様相)は、図3に示すように 屮▲襯侫[鎧丗定選択の原因事象を頂点とする未来光円錐面」および◆屮▲襯侫[鎧劼慮―仍象またはその非検出事象を頂点とする未来光円錐面」において変化すると考えられます。そのように考えれば、いやむしろそのように考える場合に限って、箱の中の猫の状態は生と死の重ね合わせ状態ではなく生か死かのどちらかの状態となり観測問題は解消します。



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図3



新しい世界像/3.私とあなたと彼、彼女

Gottfried Leibniz (1646-1716)

Gottfried Leibniz (1646-1716)


非決定論的な物理学では、第一義的な観測者を「いまここ」という時空上の1点にとります。ここで留意すべきことは、その1点が物理法則から導かれる1点ではなく心的表象としての1点だということです。なぜなら、意識を創発する物理的メカニズムが脳であるとはいえても、「いまここ」という意識が脳内の特定の時空点にあるとはいえないからです。ライプニッツは「風車小屋の思考実験」によってそのことを的確に説明しました。


”ものを考えたり、感じたり、知覚したりできる仕掛けの機械があるとする。その機械全体をおなじ割合で拡大し、風車小屋のなかにでもはいるように、そのなかにはいってみたとする。だがその場合、機械の内部を探って、目に映るものといえば、部分部分がたがいに動かしあっている姿だけで、表象について説明するにたりるものは、けっして発見できはしない。”

- ライプニッツ 『モナドロジー』(1714年) 第17節、清水・竹田訳


「物理世界は私の物理世界である」ならば物理世界そのものが表象なので、その物理世界の基点としての「いまここ」という表象は物理法則に先立つ本源的な表象であるといえます。


物理世界が私の物理世界であり表象にすぎないという考えは一見独我論に通じるようにみえます。しかし、「なぜ、私は私なのか」という哲学の問いに示されるように、そもそも私という認識は他者という認識と一組になった認識です。つまり、物理世界という表象において「私」が「私」であるためには他者の存在が不可欠なので、物理世界という表象についての記述である科学(非決定論的な物理学)が独我論に陥ることは原理的にありえません。そこで、非決定論的な物理学において観測者(いまここの私、実存)がどのような地位を占めるのかを考える場合、私と他者との関係を明確にする必要が生じます。


「あなた」とは、「いまここの私」と通信状態にある他者です(図2参照)。



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今このブログを書いている「いまここの私」がブログの読者を「あなた」と呼ぶことができるのは、インターネットという通信媒体を介して「いまここの私」と「あなた」とが通信状態にあるからに他なりません。一方、


「いまここの私」と通信状態にない他者は「いまここの私」によって「彼」や「彼女」と呼ばれます


非決定論的な物理学では、それまでの決定論的な物理学において不純物のように扱われてきた観測者(いまここの私、実存)が基本概念へと昇格するので、実存に付随する可能性や時制や人称といった様相概念もまた物理の基本概念として浮上してきます。



新しい世界像/2.私の物理世界

Ludwig Wittgenstein(1889-1951)

Ludwig Wittgenstein (1889-1951)


ポール・デイヴィス「時間について」より

(引用開始)  アインシュタインでさえ、生涯の終わりに近づいたとき、この「今」の問題が「彼を大いに苦しめている」と告白したのだった。哲学者ルドルフ・カルナップとの会話で、アインシュタインは「『今』には何か本質的なものがある」ことを認めたが、それが何であれ、それは「科学の領域の外部」にあるという信念を表明した。  (引用終了)


アインシュタインが大いに苦しみながらも「今」という概念を科学の領域の外部に排除したのは、彼が決定論的な世界観(ガリレオのドグマ)に囚われていた証拠です。なぜなら、物理世界は決定論的な方程式によって十全に記述できると信じる決定論的世界観には、主観的な「今」が入り込む余地などないからです。しかし、現実の物理世界が非決定論的な世界であるなら、偶然性や時制(過去と未来の区別)といった観測者の存在を前提とした概念は科学の領域の内部にあるに違いありません。そこで、決定論的な世界観から非決定論的な世界観へと移るとき、それまで物理学において不純物のように扱われてきた観測者(いまここの私、実存)は物理学の基本概念へと昇格することになります。


物理世界において現に実感している私は、過去や未来の私ではなく、また、そこやあそこの私でもなく「いまここの私」です。換言すれば、現実の歴史世界の頂点(いま)かつ空間の中心(ここ)に、すなわち、図1に示すように歴史世界に対応する過去光円錐の頂点に「いまここの私」は存在します。そして、「いまここの私」とその前後にある「過去の私」や「未来の私」は、誕生から死へとつながる連続的な世界線を構成しています。このように、観測者(いまここの私、実存)やその世界線(生命線)は時空図上に具体的に示すことができます。なお、図1において観測者の世界線の幅が未来に向かって広がっていることは、この時空図が非決定論的な物理世界を表していることを意味しています。


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ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがいったように「世界は私の世界である」なら、当然、「現実の物理世界」も「私の物理世界」であるはずです。そして、物理学が「現実の物理世界」を記述する学問であるなら、物理世界の第一義的な観察者として「いまここの私(実存)」を採用することは理にかなっています。「ちょっと持ってくれ。宇宙の歴史からみれば私やあなたの人生など一瞬の出来事にすぎないのだから、物理世界の第一義的観察者としては仮想的な超越者(あるいは神)を採用すべきであって「いまここの私(実存)」を採用するのはまずいだろう」と反発する読者がいるかもしれません。しかし、人類が存在しなかった時代という歴史世界も所詮「私の物理世界の一部」なのですから、そのような反論は論理的に成り立ちません。



新しい世界像/1.ドグマからの脱却

Galileo

Galileo Galilei (1564-1642)


「自然という書物は数学の言葉で書かれている」というガリレオのドグマは、最初から万人に受け入れられたわけではありません。ガリレオの死から4年後に生まれたゴットフリート・ライプニッツは、物理的世界には数学的な必然的真理(理性の真理)だけでなく物理世界特有の偶然的真理(事実の真理)が存在することを強調しました。さらに、ライプニッツの死から8年後に生まれたイマヌエル・カントは自然の決定論的因果性を超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)の存在を認め,これを神,不死とならんぶ道徳のための要請としました。とはいえ、ガリレオのドグマを思想的基盤とするニュートン力学がもたらした科学技術の目覚ましい発展(科学革命)の前にライプニッツやカントらが描いた非決定論的な世界像は次第に色あせ科学的な世界像として顧みられなくなっていきました。


神聖なガリレオのドグマに最初に動揺を与えたのは、自然現象が本質的に不可逆であることを保証する熱力学第二法則の発見でした。もし、ガリレオのドグマが正しくて自然現象が決定論的な(時間反転に対して不変な)方程式によって十全に記述できるなら、自然現象は本質的に可逆なはずです。ところが我々の肉体を含め身の回りの多くの物事は不可逆に変化していきます。例えば、グラスに浮かべた氷はやがて溶けますが、水が自然に氷と温水に分かれることはありません。熱力学的な不可逆性は、現象の先後関係を規定しています。そして、先後とは観測者の意識そのものです。つまり、熱力学第二法則の発見は、物理世界が人間の意識とは無関係に存在し決定論的に記述できるというガリレオやデカルトやニュートンらによる世界観に疑問を投げかけました。


量子力学の登場によって、ガリレオのドグマはいよいよ窮地に追い込まれました。量子力学の確率解釈によれば、量子的粒子に関する測定値は本質的な意味で確率的にしか予測できません。たとえば、1個の光子がビームスプリッタを透過して観測されるかそれとも反射して観測されるかは本質的な意味で確率的であって、予めどちらかに決定していたとはいえません。それでも決定論にしがみつこうとするなら、量子測定の測定値の分散に対応する多世界が存在し、それぞれの世界の観測者が異なる測定値を観測するという多世界解釈を受け入れざるをえません。しかし、我々が経験できる現実の物理世界はユニークな歴史を持つユニークな世界です。ですから、多世界解釈は現実に即した解釈ではなく、ガリレオのドグマ(決定論的世界観)を救うという不純な動機にもとづく意図的・虚構的な解釈だといわざるをえません。


近年における人工知能技術や脳科学の急速な発展は、心の哲学を科学の前面へと押し出しました。いままさに、意識や自由意志といった主観的な概念を扱える科学の新しい世界像が強く要請されています。仮想的なガリレオのドグマから脱却し、非決定論的に発展する現実の物理世界において観測者(いまここの私、実存)がどのような地位を占めるのかを明確にすべき時が来たのです。



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