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時間逆行通信の検証実験/11.かぶせデコ箱の製作-1

fugaku11

葛飾北斎 富嶽三十六景/礫川雪ノ旦


【Now*Here記号】

私の一生の短い期間が、その前と後との永遠のなかに<一日で過ぎて行く客の思い出>のように吞み込まれ、私の占めているところばかりか、私の見るかぎりのところでも小さなこの空間が‥‥私の知らない無限に広い空間のなかに沈められているのを考えめぐらすと、私があそこでなくてここにいることに恐れと驚きとを感じる。なぜなら、あそこでなくてここ、あの時でなくて現在の時に、なぜいなくてはならないのかという理由は全くないからである。だれが私をこの点に置いたのだろう。だれの命令とだれの処置とによって、この所とこの時とが私にあてがわれたのだろう。

ブレーズ・パスカル『パンセ』第3章205(訳:前田陽一ほか)より


もちろんここでパスカルは、「神の命令と神の処置とによって、この所とこの時とが私にあてがわれた」ことを示唆しているのであるが、彼の意図はさて置き、この問題提起において彼は「私が観測できる時空とその周りに無限に広がっている時空とは物理的本質において何ら変わらない」と仮定している。つまり、彼は物理世界と「いまここという私の意識」とを碁盤と碁石とのように別物として扱っている。パスカルに限らずガリレオやデカルトやニュートンといった自然哲学者が抱いた「物理世界は客観的に実在する」という信念は、ニュートン力学の大成功により疑うことが許されない科学のドグマになった。


「物理世界は客観的に実在する」という信念は、時計仕掛けのように決定論的に発展する特殊な物理系を記述する上では問題を起こさない。しかし、原理的に不確定な事象を伴って非決定論的に発展する一般の物理系を記述する場合、主観を排除して記述することは原理的に不可能である。たとえば、量子コイントス事象を含む物理系を時空図中に厳密に表現するためには、図7の(a)や(b)や(c)のように、いまここが(いまここの私が)その量子コイントスとどのような関係にあるのかを明示しなければならない。


verify7

図7 物理世界の非客観性


図7(a)は、観測者のいまここ(Now*Here記号)が量子コイントスを頂点とする未来光円錐の外側にある状況を表している。この状況では、量子コイントスの結果が表か裏かは原理的に不確定である。一方、図7(b)は観測者のいまここ(Now*Here記号)が量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側にあり、かつ、量子コイントスの結果が表であった状況を表している。他方、図7(c)は観測者のいまここ(Now*Here記号)が量子コイントスを頂点とする未来光円錐の内側にあり、かつ、量子コイントスの結果が裏であった状況を表している。見ての通り、(a), (b), (c)はそれぞれ全く異なる物理的状況を表している。このように、非決定論的な現実の物理的系の記述においては、観測者のいまここ(Now*Here記号)を明示しない限り、つまり、主観的要素を取り入れない限り、ごく単純な系すら十全に記述することはできない。


「物理世界は客観的に実在する」という信念は近代科学思想の中心にあった。しかし、図7により端的に示したように、その信念は誤りである。正解は、「物理世界は相互主観的(間主観的)に実在する」である。そうだとすれば、物理世界と「いまここという私の意識」とを互いに独立した実体として捉える実体二元論や「いまここという私の意識」を物理法則から演繹できる現象として捉える唯物論は誤りである。そこで、私は科学の場において中立一元論を支持する。


【かぶせデコ箱の材料】

かぶせデコ箱(下側ベース部分を除く)の材料(一部未着)について、写真と価格表を以下に示す。


かぶせデコ箱材料

写真6



表3

表3



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