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「私」と「他者」と「物理世界」 (21)

chaplin

"Yes, I can see now."      Charlie Chaplin, City Lights


λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信   4/4


5. むすび

超光速通信を許容する量子力学の解釈に立脚すれば、EPR通信は無意味な空想ではなく、観測問題解明のために真面目に取り組むべき課題である。


ボルンの規則が提案されてから90年が経とうとしている今日でも、未だに観測問題は解かれていない。このことは、観測問題に対する従来のアプローチに本質的な誤りがあることを強く示唆している。実際、観測も可能性も確率もみな実存を前提とした概念なのだから、実存を棚上げにして観測問題を解決しようとする従来の物理主義的なアプローチそのものに無理があったというべきだろう。


物理学的世界像は、私の世界の一側面に現れる世界像にすぎない。確かに、その世界像は宗教的世界像やシミュレーション仮説や世界5分前仮説よりも説得力がある。しかし、それが絶対的な真実であるという論理的保証はない。そこで、物理主義者は「神はサイコロを振らない」とか「神の数式」とか言う具合に自説の真実性の保証を神に求める。しかし、神の存在を前提にしたところで、神は物理学的世界像のみを「絶対的な真理として受け入れる」ように人間を創りたもうたのではない。神が創りたもうた人間とは、可能な様々な世界像のいずれかを「自ら選択して真理として受け入れる(信じる)」ことができる自由な主体である。神が創りたもうた実在とは、人間的実存であって、物理学的世界像ではない。


すべての物事が最終的に物理的に記述できると考える物理主義的物理学はすでに行き詰っている。物理学は、私のいまここという実存の視座を中心として物理世界を記述する実存主義的物理学へと脱皮を図るべきである。とはいえ、物理主義に慣れ親しんだ人々が、物理世界の中心は私のいまここであるという見解を素直に受け入れるはずもない。実存主義的様相解釈というドラスティックな解釈が一般に承認されるためには、時間逆行通信の実現というドラスティックな成果が必要だと私は考えている。


次回の投稿では、本稿の「λ/4板トルクセンサーを利用したEPR通信」の思考実験を足がかりとして、より現実的な、時間逆行通信のアイデアを提案する予定である。そして、我が家計(笑)が許せば、私自身の手でその原理の検証実験をしたいと考えている。

(つづく)


お願い

以上の記事は、哲学系掲示板「論客コミュニティー」に投稿したものです。投稿先への礼儀と応答の重複を避ける観点から、この記事へのコメントは、「論客コミュニティー/哲学/「私」と「他者」と「物理世界」」の方にお寄せ願います。


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