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自由の真理

nagasaki

愛も神も原爆も自由の発露です Nagasaki Aug09, 1945


ライプニッツは、数学から物理学へと進むとき、すなわち、「私の世界」の論理にもとづいて「私の世界」の物理世界モデルを構築しようとするとき、論証にもとづく「推理の真理」だけでなく、偶然に(確率的に)現れる「事実の真理」をも認めざるを得ないと考えました。これは驚くべき卓見だといえます。彼は、200年以上あとに実験によって明らかになった本源的な非決定性(量子力学的な非決定性)を、ニュートンの時代に思弁的考察のみによって発見していたのです。


では、「私の世界」は「推理の真理」や「事実の真理」にもとづく物理世界モデルによって十全に記述できるでしょうか。私はそうは思いません。なぜなら、その物理世界モデルは世界5分前仮説のような懐疑論に対して全く無力だからです。だとすれば、そのような懐疑論を押さえ込んで、「私の世界」を成立させている真理とは一体どんな真理でしょうか。


free

「信教の自由」という言葉があります。個人には神(宗教)を選ぶ自由があるということです。自由な主体によって承認される神はその主体にとっての真理です。ということは、「自由な主体の承認にもとづく主体的な真理がある」ということになります。そこで、そのような主体的な真理を、「自由の真理」と呼ぶことにしましょう。「自由の真理」は神的なものに限定された真理ではありません。例えば「他者の意識」や「他者のクオリア」は、実験的(体験的)に検証しようがないので、「自由の真理」に属するといえます。また、自由と責任にもとづく「愛」も「自由の真理」に属するといえます。多くの人が、世界5分前仮説ではなく現行の物理世界モデルを採るのも、彼らが現行の物理世界モデルを「自由の真理」として前もって承認しているからに他なりません。実際、われわれは、現行の物理世界モデルの代わりに「アダムとイブの創造論」や「シミュレーション仮説(人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説)」などの世界モデルを採る自由も持っているのですから。


物理主義者は、「自由の真理」を幻想だとして退けるかもしれません。しかし、もし彼らに「自由の真理」を幻想だとして退ける自由があるとすれば、その自由の存在自体が、彼らの主張と矛盾していることになります。また、逆に、彼らの主張が彼らの自由と責任においてなされたものではなく、決定論的あるいは確率的に現れる物理現象にすぎないならば、彼らの無責任な主張に真面目に耳を貸す責任など誰にもありません。



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