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可能性の収縮 (9)

ecce_homo

Esse Homo(この人を見よ)


物理学=力学というパラダイム(力学的パラダイム)はどのように形成されたのでしょうか。力学的パラダイムは本当に信頼できるのでしょうか。力学的パラダイムへの執着こそが、波束の収縮の解明を困難にしているとはいえないでしょうか。


ガリレオ・デカルト・ニュートンらは、本質的に決定論的かつ実在論的な物理世界像を創出しました。それは、物理世界が宇宙の初期条件と力学とによって十全に記述できるという思想にもとづいています。つまり、「神の一撃」(宇宙の初期条件)と「神の数式」(力学)さえそろえばあとは何もいらないというわけです。そして、その力学は物理学や工学において大成功を収めました。そこで、われわれは物理学を力学(神の数式)を解明し応用する学問だと考えるようなりました。このようにして、物理学=力学というパラダイムが形成されたのだといえます。


ライプニッツは、物理世界の真理には、必然的な「推理の真理」と偶然的な「事実の真理」があるといいました。彼がいう「推理の真理」が、力学に対応することは明らかです。しかし、彼がいう「事実の真理」は、宇宙の初期条件(神の一撃)に限定されるものではありません。彼は、「推理の真理」(力学)が成立するとしても、なお可能性は開かれており、可能な事態の一つが偶然的に「事実の真理」(現象)として現れるとしたのです。彼の非決定論的な思想は、2世紀以上あとに誕生した量子力学を予見していたようで大変面白いと思います。


ライプニッツが考えたように(・・・と私は思っているのですが)、物理世界が「推理の真理」(力学)によって記述される可能世界と「事実の真理」(現象)として観測者の前に現れる現実世界とからなるとすれば、力学だけで物理世界を十全に記述することは不可能だということになります。だとすれば、物理学=力学というパラダイムを支えているのは、物理的真理ではなく、研究面や応用面における利便性だということになります。


ライプニッツがいかに聡明であっても、その当時はまだ量子現象に関する知識が不十分だったので、残念ながら、彼の考察は物理学から神学へとずれていってしまいました。そして、ガリレオ・デカルト・ニュートンらによる力学的パラダイムの隆盛により、哲学と物理学は別々の道を歩むことになりました。哲学において、ニーチェが神の死を宣言し、その後に実存という概念が導入されても、それらの哲学的成果が物理学に反映されることはありませんでした。


以上のように物理世界に関する哲学史を俯瞰したとき、量子力学の観測問題(波束の収縮)は、「力学的パラダイムでは記述できない実存」の物理世界における地位を明らかにすることによってはじめて解決できる・・・という解釈(実存主義的様相解釈)が浮上してきます。

(つづく)



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